幸い(さきはひ) 第二章 ②
第二章 第二話
まもなくして、自動車は端の見えない白壁の前で止まった。
運転手が降り、後部座席のドアが開く。南山、続いて千鶴が下りる。
目前のそれは、今まで見てきた洋の雰囲気とは違い、武家屋敷のような和の白壁だった。
千鶴は屋敷に入らず、どうしてここで降ろされたのかと首を傾ける。
そんな千鶴の視界の端に、薄紅の霞《かすみ》がかかったような雲が入り込む。
それは白壁の向こうから少しはみ出して見えている。
千鶴がそちらの方向を向いて、その正体をはっきりと捉えようとした時、後ろから南山の声がかかった。
千鶴が振り返ると、南山は壁の中へと通ずる小さな扉を指していた。
「こっちだ」
南山は大きな体をかがめながらその木扉をくぐる。
小柄な千鶴にはちょうどよいが、大柄な南山は腰を折らないと入れないほどの大きさ。
立派な白壁には似つかわしくない入口だと千鶴は思う。
そんな千鶴の思考を読んだのか、南山は正門はまた別にあるが、桐秋が療養している離れにはこちらが近いのだと教えてくれる。
門を抜けるとそこには、整然とした生け垣が千鶴達の行く手を阻むよう生えていた。
それは中が見えないよう、白壁に沿うように植えられており、もう一つの覆いのような役割を果たしている。
南山は白壁と生け垣の間にできた細い道を進み、千鶴も後を追う。
途中、一度角を曲がり、生け垣が途切れる場所が表れると、そこには竹で組まれた門扉があった。
門扉をくぐると、正面に、黒い瓦が光る見事な佇まいの日本家屋が現れる。
ここが先に聞いた離れだろうか。
千鶴が思っていたような、畳の部屋一室に少し水回りのついた庵のようなものではなく、立派な邸宅である。
「さあ、中に入ろうか」
南山に声を掛けられ、千鶴が玄関先に足を向けた時、こちらに向かって急ぎ足で来る者がいた。
「旦那様」
千鶴たちが来た逆の方向から現れた男性は、南山に近づくと耳元で話をする。
南山はその内容に少し考える素振りを見せ、千鶴の方を振り返った。
「千鶴さん。大変申し訳ないが、少しここで待っていてくれないだろうか。
急ぎの用が入ってしまってね。
そうだ。もし良ければ離れの庭を見ているといい。
息子は部屋からで出てこないだろうから、君が庭にいても気づかないだろう。
庭の奥には桜の木を植えていてね。今がちょうど見頃だ」
南山の提案に千鶴は、勝手に一人歩いてよいものかと考える。
それでも桜が見頃だと聞き、遠慮よりも美しい桜をみたいという好奇心の方が勝った。
「ぜひ、お庭を眺めながらお帰りを待たせてください」
千鶴の返事に南山は頷くと、庭の入口に千鶴を案内して、男性と共に足早に去ってしまった。