パソコンへの愛着
そろそろ私のパソコンにもお別れを告げる時期が来てしまいそうだ。
6年以上前に買ったMacBookを前に、私はそんなことを思った。
最近パソコンの動きが鈍くなってきた。
キビキビ動かなくなってきたのだ。
それもしょうがない。
技術は日進月歩だ。
すぐに次のOSが登場し、新しい機能が追加される。
新しい機能を充分に使いこなすためには新しいハードウェア(機械)が必要になる。
こうやってコンピュータのメーカーは日々儲けを増やしていくわけだ。
僕は学生時代に奮発してMacBookを買った。
見た目がカッコ良かったし、画面に映る文字がWindowsのものよりもクッキリと鮮明で美しかったからだ。
当時学生だった私にとって、13万円もするノートパソコンはかなり手痛かったが、それでも勇気を出して購入した。
そして、毎日のようにMacBookを触るようになった。
大学のレポートを書いたり、実験データを整理したり、プレゼンテーションの図面を準備したり。
軽くて薄いからリュックに入れて持ち運ぶことができた。
多少重かったりもしたけど、これもトレーニングだ。
昔の人たちが農業を一日中やるより、江戸時代の人が重い荷物を持って参勤交代するよりも確実に楽なんだぞ、と思いながらMacBookを携帯した。
そうして、MacBookといろいろなところへ行った。
学会で北海道にもいったし、沖縄にも行った。
東京にも横浜にも。
MacBookが私を連れて行ってくれたのかもしれない。
長く使っている道具には自然と愛着が湧いてくるものだ。
ただ、形あるものはいつか動かなくなる。
時代によって便利さも変わってくる。
必要な機能も変わってくる。
だからこそ、別れが必要な時もある。
最近僕は新しいパソコンを購入した。
いま新しいパソコンが届くのを待っているところだ。
そして、MacBookのデータを整理しているところだ。
動きの鈍くなったMacBookのキーボードを叩きながら、一つずつ中身のデータを外付けのハードディスクに移していく。
こんな資料も作ったな〜
こんなメモ取ってたんだ。
なんだか大掃除の最中を忘れていた思い出の品を見つけて懐かしんでいるようだ。
なかなか終わらない。
別れが惜しくて時間をわざと伸ばしているだけかもしれない。
けれど確実に一つ一つ別れの準備を進めていく。
多分これからもこういった別れはやってくる。
私が生きている限りやってくる。
なんだか少し嫌だけど、新しい出会いもある。
そんなことを考えながら、必要なファイルを削除してしまって後悔している私であった。