両親を強盗殺人で失い、親代わりとして私を守ってくれた兄さんへ
前回のエントリーで、私の両親は60年前、強盗により猟銃で射殺されたことを書きました。
その際、2つ上の兄が、親代わりとなって私を守ってくれました。今回は、そんな兄へ向けて書いた手紙を載せたいと思います。
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私は親元を離れて下宿での高校生活を送っていたため、この事件の難からは逃れていたものの、犯罪被害者孤児となってしまいましたね。
自慢のお兄さん。
お兄さんは野球部で活躍し、弁論大会では1位、習字も得意で、さらに女子学生の人気者。
当時流行った「ダッコちゃん」を誰よりも早く持たせたいと買ってくれたね。
少し身体の弱かった私をいつもかばってくれたね。
“私の兄さんだよ”と、いつも自慢していたよ。
──あの事件の日。
私は、訳も分からず泣いて、その場で気絶をして、けれど兄さんは泣かなかった。
“俺が妹を守るんだ”と、強い決心をしてくれたんだと思う。
40年以上経って、今では強盗殺人で命を奪われた両親の年齢を超えた私たち兄妹の心は、今なお、その当時のまま止まっている。
あの時代は、殺人の被害者遺族になっても、何の支援・援助もなく、心の“癒し”を受ける機会もなかったから。
目には見えない心の傷を誰も理解してくれず、その苦しさ・辛さをずっと封印して生きてきたから。
事件について、両親の死についても、話したことはなかったね。
当時の行政の人に問いたいよね。
“どうして、未成年で両親を失った兄さんと私を見捨てたんですか?”と。
当時は、障がい者の支援法や生活保護法だってあったのに、犯罪被害者支援については何一つなかった。
加害者のみに人権保障で守られ、被害者は置き去り、この不公平に押しつぶされ長く、長く苦しい日々を過ごしてきたよね。
両親の三十三回忌の節目の日、兄さんの手を見たら、当時よりももっと大きく見えた。
あの事件以来、兄さんも生きるため、私を守り、自分自身の心の傷とも戦い、そして家族を養うために一生懸命働き続けてきたよね。そんな兄さんを、昔も、今も、誇りに思う。
今度は、悲しく辛かったことではなく、今まで出会って愛や思いをくれた人たちへの感謝の気持ちを語り合いたいね。
兄さんも、心が回復することができる日が来ることを信じて祈っております。
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本手紙は、代表理事がお兄様に宛てられた手紙を、パワーハラスメントにより心に傷を負ったこうたが、ご本人の許可のもと、編集したものです。
なお、11/25(月)〜28日(木)、大切な人へのメッセージ展「愛しい人へ」を狭山市役所ロビーにて開催します。
ご興味のあるかたは、お立ち寄りください。
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