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"ほいと"の子

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30年前、両親が離婚し母に連れてこられた九州の地で体験した、「毒」家族日記 読みやすいように各記事を短めの文章にしてます
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2018年7月の記事一覧

子供時代の貧困と虐待生活  ー3ー

子供時代の貧困と虐待生活  ー3ー

両親が離婚、母方の実家を仮の住まいとした居心地の悪い生活が始まった。そこには子供のことを考えるような大人はいなかった。
酒浸りの祖父、ギャンブル狂いの祖母、子供を引き取ったクセに働かない母。

愛情なんてこれっぽっちも感じられない家庭。

でも子供にとっては、どんなに嫌な家でも帰ってくる場所はそこしかない。

ちょうど冬休みに関西から九州に引っ越してきたので、冬休みが終わると新しい土地で、新しい学

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子供時代の貧困と虐待生活 ー2ー

子供時代の貧困と虐待生活 ー2ー

両親の離婚を経て、母方の実家を仮住まい先とした生活が始まった。
突然環境がガラッと変わった。
小学四年生の僕は新しい環境、特に最悪な大人たちがまわりにいる環境に全く馴染めなかった。

祖母と母親は毎日パチンコに行く。
子どもたちには白米とぬか漬け、味噌汁だけ用意して、毎日閉店までパチンコ店に入り浸る。

祖父は毎日酒を飲み、子どもたちをいじめる。
「俺はお前のことが好かん」と、まだ新しい生活に馴染

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子供時代の貧困と虐待生活 ー1ー

子供時代の貧困と虐待生活 ー1ー

そんなわけで九州のイチ地方都市の片隅に母親に連れられて引っ越してきた。九州へ向かうフェリーの中から見た星空が、えげつないほど美しかったのを覚えてる。

母の実家である。祖父、祖母、叔母や叔父、そしてイトコ達。
これから語っていこうと思うんだけど、まともなやつはほとんどいない。
そもそも祖父と祖母が子供のことなんてお構いなしで、自分の欲求を満たすために生きている。
そういう時代だったのかもしれないが

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子供時代の貧困と虐待生活 -プロローグ-

子供時代の貧困と虐待生活 -プロローグ-

小学4年のとき、父と母が喧嘩をして、母が出ていった。
その頃住んでいた団地のすぐ目の前の公園で遊んでた僕は、父のすぐに帰ってこいという声に、少し不安を感じながら家に帰った。

父は泣きながら、母が出ていったことを僕に告げる。

一人っ子で兄弟もいない僕は、涙を流しながらそんなことを僕に告げる父親を見て、ショックを受ける。
40歳になった今でも、ありありと蘇る、当時の記憶。

翌日、母は帰ってきた。

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