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ビジネスにおける「さしすせそ」の病

毎月第2・第4金曜日の夜、「いれものがたり」というワークショップで、「人としての器」について対話形式で理解を深める入門版のセッションを提供しています。

昨日のセッションでは、参加者のみなさまの深く内省した語りや洞察に富んだコメントが寄せられ、大変充実した時間を過ごしました。みなさんと一緒に器に真剣に向き合うことで、私自身も「人としての器」というテーマの深遠さをあらためて感じることができ、非常にありがたく思っています。

そうした中で、この「いれものがたり」は、「人としての器」という抽象的で曖昧な概念を多様な視点からグルグルとめぐるように深めていく場所であるということを強く感じるようになりました。

これと対比するように、現代のビジネスの現場においては「さしすせそ」という病が蔓延しているように見受けられます。

「さ」は最善策、「し」は証拠、「す」はスキル、「せ」は説明性、「そ」は即効性を指し、これらは確かにビジネスを成功させる上での重要な要素です。

しかし、それぞれに過度に依存すると、ネガティブな影響をもたらしかねないことも忘れてはいけません。

そこで今回は、「さしすせそ」という病と対比させながら、「いれものがたり」がもたらす価値について考えてみました。

「さしすせそ」の病

「さ」の最善策は、成功事例やベストプラクティスを必要とし、それを自分たちの状況に適用することを推奨する傾向を示すものです。

ビジネスの現場で、「上手くいった事例を教えてほしい」と求められることが頻繁にあります。

しかし、このアプローチの欠点は、その最善策が全ての問題を癒してくれる魔法の杖であるような暗黙の前提を持っていることです。

ところが、実際のビジネスの現場は複雑で、それぞれのコンテクストに応じた状況があり、唯一無二の正解が存在しているわけではありません。

他人の成功事例を取り入れることが、すなわち自分たちの成功を保証するわけではないにもかかわらず、つい最善策を妄信し求めてしまうのです。


「し」の証拠は、意思決定において確実なエビデンスを重視することを示します。

ビジネスにおいては、「データに基づく証拠を提供してください」「事実に基づいて意思決定を行います」とよく言われます。

確かに証拠やエビデンスは、不確実性を減らし、ミスや失敗を防ぎ、より良い決定を促進するのに役立ちます。

しかし、現実は常に変化するもので、永久不変の絶対的な証拠やエビデンスが存在するわけではありません。

しかも多く出来事は、刻一刻と移り変わっていき、また核心に迫った本質ほど可視化できるデータで表されるとは限らないのです。

それにもかかわらず過度に証拠・エビデンスを求めていると、意思決定の遅延につながったり、変化とともに発生する新たな可能性の見落とすといった問題を引き起こす可能性があります。


「す」のスキルは、成果につながる専門性や能力が重視されることを表します。

最近では、「リスキリング」「アップスキル」といった言葉が広まり、「スキルを持つ人を抜擢して評価する」という見方が増えています。

成果を出すためには、確かに特定のスキルを習得することは重要でしょう。

しかし、スキルは、そもそも標準化でき可視化できる世界観を前提としています。

そういったテクニカルなスキルに過度に依存すると、目に見えない個性や人間性という側面を見落とし、一人ひとりの内面にある質的な成長へのまなざしを見失うことにつながりかねません。


「せ」の説明性は、誰にでも簡単に理解でき、分かりやすい情報の重要性を示します。

「もっとわかりやすく説明してください」「要点をまとめてください」という要望を受けることはよくあると思います。

わかりやすく明確なものは説得力を持つため、世の中に浸透しやすく、どこかもてはやされる傾向にあります。

しかし、そもそも現実の複雑な事象を、誰にでもわかりやすく網羅的に説明することは可能なのでしょうか? 

説明性を追求するがあまり、複雑な事象を必要以上に単純化し、それとともに現実に対する偏見を生じさせ、本質的な理解をないがしろにしてしまう一面があることも忘れてはいけません。

「そ」の即効性は、迅速な結果や効果を出すことの必要性を示します。

「それはすぐ成果につながるのですか?」「手っ取り早く成長するにはどうすればいいですか?」といった質問をよく受けます。

しかし、人や組織の本質的な問題に対するアプローチに関して、短期的な解決策では対症療法に終わることが多く、むしろ息の長い取り組みを必要とするものです。

即効性ばかりを優先すると、長期的な視野を見失い、日々の地道な努力をおろそかにし、結果的に持続的な成長や変容を阻害してしまうことになるかもしれません。

まとめ

変化の激しいビジネス環境において「さしすせそ」が重要な要素であることを否定するものではありません。

しかし、それぞれの要素に盲目的に依存しすぎると、やがて大きな歪みを生じさせてしまう可能性があります。

そして、「さしすせそ」の病に対する予防策として、「人としての器」という概念を理解することが有効ではないかと考えています。

「人としての器」とは、可視化できるスキルを超えた人間性や成熟さを表現する包括的な概念で、これには豊かな感情、深い対人関係、広い視野、自己受容、利他性などが含まれます。

この概念は一見曖昧で抽象的に見えるかもしれませんが、その曖昧さが多様な解釈を受け入れる余白となっています。

そして、「人としての器」を磨くためには、手っ取り早い方法論が存在するわけではなく、じっくりと地道に取り組む必要があります。

こうした「人としての器」の奥深さが、禅問答のように多角的な視点から深めることを可能にしてくれるのです。

「いれものがたり」では、「さしすせそ」を過剰に意識するビジネスの現場とは少し距離を置きながら、自分と他人に対する豊かな現実の理解に向けて、じっくりと対話を深める場を目指しています。


より詳しく「人としての器」を学びたい方は、金曜の夜は”いれものがたり”にご参加ください。

これまでの研究成果のエッセンスを紹介し、対話形式で理解を深める入門版ワークショップです。


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