座右の銘の補足
時々口にしたり文字にしたりするので山本さんは気づいてるかもしれないが、わたしは「大人」と「責任」を重要な考え方だと思っている。
自分の居場所に責任を持つ。
これはわたしの座右の銘だけど、主語を省略していて、ほんとは「大人は、自分の居場所に責任を持つ」ということ。
以前、山本さんはわたしが責任主体なんだって書いてくれたことがあったけど、まさしくその通り。
責任を持つっていうのは、大切なものを大切にできること。
自分の大切なものが何なのかを自覚して、行動で示し、ちゃんと大切にする。思うだけじゃなくて、実践しないといけない。
そうしないと、居場所ってすぐになくなってしまう。
たとえば仕事はわかりやすくて、求められる成果を出せないと、責任を果たせていないことになり、自分の存在意義や居場所を感じられなくなる。
家庭でも同じ。妻や母というのはただの属性で、それに応じた居場所は自分の行動でしか守れない。
子どもの頃、もっと若かった頃、わたしは、大切なものを大切にするのがものすごく下手くそだった。
だから周囲に迷惑をかけて、現実が居心地悪かった。
自分の大切なものをちゃんと理解していなくて、無責任に関係を築いたり、築いた関係を無責任に放り出したりしていたから当たり前なんだけど。
でも、これじゃあ誰も幸せになれないと痛感することがあって、それでわたしは大人になることにした。
座右の銘は、山田詠美の短編小説の中に出てくる一節。
キャバクラで働くウェイターのお兄ちゃんが、仕事に向き合えないホステスの女の子に言うセリフ。
初めてこの小説を読んだ時わたしは高校生で、登場人物は若いのにかなり大人っぽく見えて、その意味を捉えきれなかった。
でも、わたしには同じ本を繰り返し読み続ける性質があり、その後もずーっと読み続けていた。
そして、自分が登場人物の年齢に追いつき、自分の人生のハンドリングを失敗しまくっていた頃、この言葉がとてつもなく突き刺さった。
そうか、自分の居場所って自分がいるその場所にしかないものなのか。その居場所が自分に必要なものなら、責任を持たないといけない。それができるのが、この人たちみたいな大人なんだ、と。
そしてこの言葉は、芝生が水を吸うようにすんなりとわたしの細胞に取り込まれた。
大人であることも責任を持つことも、わたしをいろんなものから自由にしてくれた。
「責任」というキーワードで物事を見ると、自分にとって大切なものかどうかを判断しやすくなる。
責任を持ってまで大切にしたいと感じられれば、全力で大切にする。そして自分の居場所を守る。そうでもないものは手放すか、手を出さない。責任は重い。その見極めをちゃんとできるのが、大人の証だと思っている。
大人であれば自分の居場所に責任を持たないといけないし、自分の居場所を感じられる瞬間があるなら、わたしは大人として責任を持てている。
ちょっと逆説的だけど。
そんなめんどくさい確認を、実はちょいちょいやっている。
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この作品は、共創プロジェクト『不協和音』の作品です。このプロジェクトでは、エッセイを通してお互いの価値観や発見を共有し、認め合う活動をしています。プロジェクトについて興味を持ってくださった方は、以下の記事も合わせてご覧ください
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