春を彩るうつくしい人達
先週末、ひな人形を出して飾った。
主役2体だけのミニマムなおひな様だが、部屋の雰囲気が春らしくなった。
このひな人形は、長女のものだ。
母方の祖父母からの贈られた。
詳しい経緯は知らないし、もしかすると地域差もあるのかもしれないが「ひな人形は長女のものだ」と言われて育ってきた。
だから、次女のわたしは持っていない。
実家でも毎年ひな人形を飾っているが、それは長女である母が嫁いだ時に持ってきたもので、80年近く前につくられた骨董品である。しっかり7段あるフル装備。経年による傷みもあり、幼い頃のわたしにはなかなか怖いものに見えていた。
定かではないが、母のひな人形の所有は、そのまま長女である姉にスライドされる仕組みだったような。
今、母に言われてきたことを、わたしはそのまま娘たちに言っている。
長女には「このおひな様は〇〇のものやから、もし将来的に結婚するようなことがあったら、〇〇が持って行くんやで」
次女には「これはお姉ちゃんのおひな様やねん。■■のではない。■■はお母さんと一緒で次女やから、おひな様持ってないねん。それはもうしゃーない」
とっても不思議なことを言ってるなー、と思う。結婚しても持って行けとか、所有者を明確に規定しているとか。彼女たちが大人になる頃の社会には、絶対にそぐわないだろうな、とも感じる。だいたい、女の子のためのお祭りとかいう概念がなくなっているかもしれない。
日本の文化や伝統として、ひな人形や桃の節句という営みが残っていくなら、それはそれで良いと思う。社会の変遷とともに失われていくとしても、それはそれである種の自然だろう。どっちでもいいんだけど、わたしは単純にひな人形という物の精度の高さに、毎年新鮮に驚いてしまう。人形の精緻な造形、豪奢な着物や調度品の美しさは絶対的な価値として、社会や概念の変化や時間経過とは関係なく、色褪せないように思えてならない。
金屏風から仏壇を想起したのか、次女はなぜか正座してひな人形を拝んでいた。
長女は「コロナだからねー」と言いながら、ひなあられや菱餅のソーシャルディスタンスを取っていた。
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この作品は、共創プロジェクト『不協和音』の作品です。このプロジェクトでは、エッセイを通してお互いの価値観や発見を共有し、認め合う活動をしています。プロジェクトについて興味を持ってくださった方は、以下の記事も合わせてご覧ください
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