#006 人が話しとんがに、切ってしもた(エッセイ)
高齢で難病を患っている母は、薬の影響もあり、いろんなことがうまくできなくなりつつある。特に、スマホの操作は難しいようだ。LINEの誤送などは当たり前で、もはや家族の誰も特に反応しない。
電話もおぼつかない。さっき、母と話していたのだが「お母さん風呂に入ってくる」と言ったので、わたしは次の言葉か、電話が切れるのをしばらく無言で待っていた。
すると、母がタイトルの言葉をつぶやいた。横にいる姉に向けられた言葉だったが、電話はしっかりつながっていたので、わたしはその言葉をしっかり聞いてしまった。
そこにあったのは、スマホ誤作動による戸惑いでも、話の途中で通話が切れた残念さでもない。純度の高い苛立ちだけだった。
母にしてみれば、話の途中で電話を一方的に切られた(のだと思ったの)だから、苛立ちもするだろう。逆だったらわたしもそう感じる。ただ、わたしが聞いていると思っていない母の声は、とても平坦で冷たかった。わたしは、絶対にその声を聞くべきではなかった。
「え、切れてないよ」と姉の声がしたが、母は言葉通り風呂に行ったのか、その後でもう話すことはなかった。姉と適当に雑談して電話を切ったが、今も胸がぞわぞわする。それが、自分に向けられた文句を直接耳にしたショックなのか、快活で優しかった母の変化を突きつけられたからなのかは、わからない。
ただ、自分でもうろたえてしまうほどに悲しく、喉から胸の辺りがうすら寒く、致命的にしょんぼりしているのだ。
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