「全部」の話
うちにひとり、刻々と言語能力が発達中の2歳児がいる。
彼女はあらゆるものに興味を示し、その名前を母親に問うてくる。
でも、そんなに答えられない。
道端に咲いている花の名前、見たことあるけど知らない。
(「植物」と答えた)
電線あたりの何かの名前、そもそもどこを指してるかわからない。
(「電気設備系統」と答えた)
食パンを閉じている樹脂製のパーツ…もはや、描写すらままならない。
(「留め具」としか言いようがない)
彼女の質問には分別がない。配慮も容赦もない。
お皿に数個の『コアラのマーチ』が残っていたので、「全部食べていいよ」と言うと「全部って、たくさん?」と質問された。
「全部」は「あるものすべて」なので、量を示す表現ではない。
でもたぶん、残り1-2個なら「残りは食べていいよ」と言っただろう。
ということは、ある程度の量があるときにしか使わない表現だ。
じゃあ「たくさん」なのかもしれないが、この段階に至るまでに十数個以上食べてきた彼女にとって、今の状況の「全部」って、決して「たくさん」ではないんじゃないのか。
…みたいなことが頭のなかを巡り、返事に窮し、停止した母親を待つこともなく、2歳児はどこかへ遊びに行ってしまった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?