わたし人見知りじゃなかった
ずっと、人見知りなんだと思っていた。何なら人嫌いなのかも、と。
確かに、初対面の人と打ちとけるには時間がかかる。同じ部署の同僚と緊張せず話せるようになるまで1年くらい。知らない人が多い場が苦手で、大勢が参加する飲み会は壊滅的に苦手。うわのそらになるか、顔が引きつるほどしんどい。よく途中で勝手に帰っていた。
でも、わたしは、周りの目を気にするタイプではないと自認している。それなのに、人見知りなんてする必要があるだろうか?
だって周りからの見られ方が気にならないなら、緊張する理由がない。
たとえば、単に人と話すのが苦手なだけじゃないか。話さずに済むなら、極力チャットやメールを使う。インタビューも、1秒でも早く終えて帰りたい一心だった。ミーティングもプレゼンも苦手だが、これらは準備で対処できる。だから、大丈夫。
大丈夫じゃないのは、不意の雑談だ。想定外のシーンで知人と出くわすのがとにかく苦手。前職の時、同僚とエレベーターで一緒になるのが嫌すぎて、9階のオフィスまでいつも階段を使っていた。
一方で、仕事でなければ周りの目なんて気にしないし、そもそも人と打ちとけようとすらしていなかった。
長女は同じ保育園に5年通っていたが、いわゆるママ友と呼ぶ人はひとりもいない。送迎時や保護者会はひっそりと距離を取っていたから。迎えに行く時間は絶妙にずらし、バッティングしたら、殺気だった感じか「わたし空気です」みたいな顔をして、とにかく話す気がないオーラを出す。
その他の言動も含め、園長先生や保育士さんはわたしをストレートに「変な人!」と言う。他の保護者の皆さんも思ってるんだろうが、それで自分や子どもに不利益が生まれない限りは気にしない。
やはり、わたしは人見知りではなさそう。
人と話すことに対するメンタルバリアが、高すぎるだけなんだと思う。うまく話せないからメンタルバリアが高いのか、メンタルバリアが高いからうまく話せないのかは、もはや深掘りできないししたくない。
とりあえず、わたしが目下一番びくびくしているのは、次にオフラインで山本さんに会う機会が来ること。
まともに話せる気がしない。
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この作品は、共創プロジェクト『不協和音』の作品です。このプロジェクトでは、エッセイを通してお互いの価値観や発見を共有し、認め合う活動をしています。プロジェクトについて興味を持ってくださった方は、以下の記事も合わせてご覧ください
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