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ted_ozawa
インタビューの鮮度
原稿書きは、ロジカルに考え、ロジカルに情報を整理して行う作業だと思っている。
感情や熱意以前に、そのスタンスがなければ原稿が破綻してしまうからだ。
無数の点を整理して線にし、束ねてパートにする。パートを組み合わせて面にして、複層的に重ねることで、立体的でふくよかなストーリーが立ち上がる。
理想的な原稿は、立体的だ。他の原稿と呼応して四次元の響きを持つこともある。
非常にロジカルな思考と作業が必要な反面、イメージや雰囲気といった感覚的なものからも離れられない。
すごく不思議だが、これらは同居していて、何なら相互に影響し合う。
情報をクリアに整理できれば、ストーリーのイメージが生まれる。
イメージが掴めれば、ロジックはより強固になる。
最も扱うのが難しいのは、予感だ。
「この原稿はうまく書けそう」という予感は、厳密にはロジックやイメージから独立している。
自信、と言い換えてもいいかもしれない。あるいは、書き手としての自分に対する信頼、とも。
率直に言って、これまでの経験値を駆使すれば、基本的に書けない原稿はない。技巧で「それっぽい原稿」に仕上げるのはたやすいことだ。
だけど、予感の伴わない原稿に仕上げていいものだろうか。最近ずっと逡巡している。予感なしに書いた原稿は空っぽになりやすい。それじゃ、書く意味がない。
でも、もう時間がない。
インタビューの鮮度はそんなに長くもたない。時間が経過して熟成することは少なく、情報や熱意の鮮度が落ちて傷んでいってしまう。
答えを出すための整理として、この記事を書いた。答えを出さないといけない。