言葉を大切に使うのは、とってもむずかしい
言いたいことは理解できる。でもむずかしい。もう少し理解を深めるための手立ては、呼応すること。
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この記事の主旨はおそらく、両者の違いの明示、そしてそれらの使い分けに対するスタンスの表明、なんだと思う。それに関しては、十分に説明されていると思う。特に単語の捉え方については、英単語と対照させると理解しやすい。異論はない。
一方、この記事を読解するうえでむずかしいと思った理由は、違い以上の意味を持たせているかどうか読み取れなかったから。
さーっと読むと、なんとなく「信頼できる」の方が限定的で狭い意味、「信頼する」はもっと許容度が高くて広い意味、と感じた。それは、心の開き度合いの違い…のようにも思える。前者の相手とは心の距離がそこまで近くなくて、後者の相手とはもう少し近い。
私は、信頼できると言う言葉を取引や契約、交渉のシーンでのみ使う。
一方で、実際の仕事やコミュニケーションでは、信頼すると言う言葉を使う。
「信頼できる」と「信頼する」の違いは、良し悪しとは別次元で存在するもの。単なるシチュエーションや目的の差でしかない、と彼は言うかもしれない。
でも、そうだとしたら、その感覚って理解するのがむずかしそうだなぁと思う。
きっと、この記事を通して彼は彼の感じている「信頼できる」と「信頼する」の違いを明確に示したいと考えていたはずだ。だとしたら、その意図は達成されている。
だけどたとえば「信頼できる」から始まった関係がやがて「信頼する」相手に変わることはあるのか?とか、「信頼する」人と特定の契約を結ぶことがあれば、限定的に「信頼できる」になっちゃうのか?とか。
ケースで判断したがるのはわたしの悪い癖だな。
だから私は、言葉選びには気をつける。条件付きで信頼してる時の言葉と、無条件で信頼している時の言葉を明確に使い分けたい。それは自分に嘘をつかないことでもあるし、相手に嘘をつかないことでもある。
この人、真摯な人だな、とつくづく思う。わたしはこの人を信頼できるし、信頼している。
…あれ、「信頼している」はまた別の用法なんだろうか?
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この作品は、共創プロジェクト『不協和音』の作品です。このプロジェクトでは、エッセイを通してお互いの価値観や発見を共有し、認め合う活動をしています。プロジェクトについて興味を持ってくださった方は、以下の記事も合わせてご覧ください
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