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ハヌルとサクッと英語

親の援助なしで1人外国で生きていくと決めた人生

初めて読んで頂く方のための自己紹介

気持ちは10代!
大学生2人、高校生1人の息子がいるアラフィフだけど
1人で短期韓国移住計画中の久西ハヌルです。

現在、3歳から16歳の生徒さんに自分最高!自分もできる!を英語習得しながら実感してもらってます!特に苦手意識強い子が得意科目に意識変わり始めるときは感動です!あ!きた!と感じます。

英語にかかわるきっかけは、高校生ぐらいのとき、洋楽洋画がすきで、当時はU2,ボンジョビ、デュラン・デュラン、プリンス、ディビットボーイ、シンディローパー、カルチャークラブ、アーハなど年代がわかってしまいますが、ほとんど洋楽の追っかけ、ライブの出待ちなど始めそこでファンの子達がミュージシャンたちと英語でペラペラ会話をしてるの見て、かなり衝撃を受け私も話したい!と思い始めました。

そこから猛勉強スタート!
どこかに習いに行きたくても家庭の事情で行けず、どうするか?考え
思いついたのが学校の授業を聞かずに英語の辞書を1ページずつよみ漁り
例文みながら覚える時間に使ってました。先生には失礼な生徒。
また、映画を字幕ありから→なしでみる、また字幕ありで聞き取れなかった所を何度も交互に繰り返して聞いてみる。
生活するうえでよく使われる会話表現の洋画をジャンルなしで選んでました。
最初は全く聞き取れない、くじけそうに何度もなりましたが日本出たいんでしょ!と確認しながら週末に時間をとりみてました。
とにかく観続ける!歌詞を訳す、一緒に歌う!
異文化交流英語のイベントにも顔だし覚えた表現を使ってみる、ペーパーバック、英字新聞わからない単語ばかりで調べながら読もうとすると途中で意味がわからなくなりため息つきながら新しい単語を吸収する意識で飛ばし飛ばしでしたが読みました。洋書店にかよって雑誌や子供の絵本などもみて、生活を英語一色にしました。

ちなみに学校の英語の成績は60点~70点ぐらいだったはず、できるほうではなかったです。 先生が好きでなかったし、つまらなかったので授業は聞いてませんでした。
高校はとにかく学校にいることが息苦しくて縛られている気分でまるで留置所に閉じ込められてるような息苦しさを感じ高校生活の環境=日本の世界と思うようになりました。この頃に絶対日本脱出してやる!外国に住むという気持ちが現実的になりました。
学校を適当に決めて本当に苦しかったので今、指導してる生徒さんたちには高校選びは第2志望ほど適当にせず行ってみたいと思える場所を選ぶように伝えてます。私やかこの生徒さん達の失敗談を共有してます。
みんな第一志望校には集中して考える傾向ありますが、学校が合わずに通えない子たちもたくさんいます。親にいわれたから、どうでもいい!とか友達が行くからとか、、、、
次回はその後、親の援助なしに英語が話せないのにどう渡米し、生活していったか?お伝えしますね。
一般の日本の方では決断しにくい方法で日本を去りました❣
ではまた。

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