アンという名の少女
モンゴメリの『赤毛のアン』を、題名以外、内容をほぼ知らなくて、NHKで放送されていた海外ドラマに興味を持って見始めたらハマった。
シーズン1が、先が気になる状態で終わって愕然としたが、続きが無いものは無いので一旦すっぱり諦めたら、半年くらい経ってシーズン2、シーズン3と続けて放送されたので、寝室のレコーダーに録画した。そしてそのまま放置していた。
観だしたら先が気になって他のことが手に付かなくなる。自分という人間を知っていたのと、他に処理しなければいけないことが山のようにあったこと、思いがけない事態に陥って、平常心で日常生活を送ることが出来なくなったことなど、色々とぐちゃぐちゃになってようやく、嗚呼…ここに小さな楽しみがあった…と思い出した。
毎日一話ずつ、大切に観た。3になって、残りが少なくなってきたので、終わらせたくなくてわざと観なかったこともある。今考えてみると、それが何のためになったかなんてよくわからないのだけれど、張り合いが、見終わることによってなくなることを恐れたのだと思う。
シーズン1は、原点である『赤毛のアン』ってこんな話だったのか…というストレートな感想と、アン・シャーリーという孤児が、大分ヤバい子だという俯瞰で見続けた。リアルな心理描写が、原作そのものと相通じるのか、原作を読んでいない私には測りかねるが、唯々夢中になった。なのに終わって悲しかった。続き…めっちゃ気になった。
シーズン2は、常に胸騒ぎを抱えながら見た。色々あって、映画などもどきどきはらはら系は、どんなジャンルであれ受け付けなくなっていた。そのせいもあるのかも知れない。事件が起こる度、必要以上に怖くなったが、軌道修正されるたびにホッとした。
シーズン3は、アンをはじめ、登場人物たちが急に大人になってびっくりした。1と2の間に空白があったのに、2と3は続けざまだったので、切り替わることを悲しまずに済んだものの、見た目の成長に心が追いつかなくて慌てた。そして後半、制作側は何を急いだのだろう?とちょっと苦しんだ。明らかに、終わらせるために慌てたようだと感じた。
既にネット記事を読んで、シーズン4がないらしいということは知っていた。でも作れたはずだ。すっかり出番を失ったジェニーとマシューそして、ギルバートではない彼とルビーの間に、進展はあったのか。バッシュとステイシー先生のその後。カクウェットをはじめ、政府に連れ去られた先住民族の子どもたちがどうなったのか…。コールがどんなふうに成長していくのかも気になる。
アンとギルバートの恋模様も、無理矢理収束させてしまって勿体無い。手紙の誤解があんなことであっさり解決されて良いのか。もっと引っ張ってどきどきさせてほしかった。誤解も解いてほしかった。どうにもこうにもすっきりしない。
好きだからこそ、“惜しい!”が詰まった海外ドラマ。今後、何とかならないか、それとも負けず劣らず夢中にさせてくれる別のドラマが始まらないか、どうにも気持ちが落ち着かない。
とにかく張り合いがないのはつまらないが、注目が移行した『阿佐ヶ谷アパートメント』は想像通り、ドキドキはないものの穏やかに観られる番組としてシーズン2を迎えた今も視聴している。