類は友を呼ぶ?①
私が無職になると同時に、専業主婦から棚ボタ式に職場復帰した友達がいた。彼女とは近年、毎月のように時間を合わせて会っていたのだが、働いていた頃の私以上に、彼女が復帰した職場は忙しい様子。主婦業すら疎かになり、そちらの方は同居している実の親に任せきりになっているというから、会えなくなるのも仕方がないと言えた。
半年ぶりに会った彼女は、本人が言うほど痩せてもやつれてもいなかったが、職場に対する不満は肥大しているようであった。
職場がいかに理不尽か、仕事がいかに大変か、休みなく喋り続ける友…。私の再就職がまだであることを忘れているのか、もしかして気にも留めていないのか…。その顔を見ながら、私は自分が意地悪くなっていくのをじわじわと感じた。
今、私も同じ働く立場なら、きっと彼女の話に同調し、共に愚痴り、怒ったり笑ったりしたのだろう。しかしそうではない。私は自主的に無職を選んだのではなかったし、彼女と入れ代わって専業主婦になったのでもなかった。先行きも見えず、様々な将来の不安を抱えた状態で、彼女の話をただ聞いていたのである。
彼女の職場は悪質そのもので、もしも今、私を雇ってくれると言ったとしても、お断りするだろうと思えるほどであったが、珍しくいきり立っているいつも冷静な彼女の顔が、反って生き生きと輝いているように見え、私は嫉妬したのだった。
どんなに大変な職場でも、苦労せずに復帰出来るのは羨ましい限りである。大変な職場だから復帰に苦労する必要がなかったのかも知れないが、復帰する職場に巡り逢うことも出来ていない身としては、悪いところなどこの際どうでも良く思えた。
結局この日私は、自分の近況を話すこともなく友と別れ、帰ってからあることに気付く。私が働き、彼女が専業主婦だった頃、きっと私は今日の彼女のようであり、彼女は今日の私のようであったのかも知れない…と。彼女の愚痴の殆どは、かつて私が抱えていた仕事や職場の不満と、見事に合致していたのである。
当時彼女は、自らの意志で専業主婦をしていた為、今日の私ほど、意地悪な嫉妬心に支配されてはいなかったであろうが、自分の生きる場所ではない仕事の話を聞かされて、必ずしも平穏だったかどうかはわからない。
再び多忙な生活に戻った彼女とはあれから一年以上会っていないが、恐らく激務に忙殺されながら、かつて私が聞かせたような数々の愚痴を、今も引き続き蓄積している最中なのだろうと思う。
友とは、姿形は違っても、どこか似ているところがあって、それ故相通じたり、意気投合して絆を深めて行けるのだと感じる。
世の中には私の知らないような質の違う交友関係で、友情を育んでいる人達が居るかも知れないが、私の中ではあくまでそういった傾向は薄い。全く気の合わない友達がいたとしても、付き合いが長続きした例はなく、やはり継続して付き合っているのは、考えや話がそれなりに通じたり、また、思いが別のところにあっても、お互いに刺激し合いながら気分良く関わっていられる者同士であることが、多いように思う。
タイプが似ているというのは、社会的環境下に於ける立場や役割まで似通ってくるのか、友人と個別で会っても、複数で集まっても、それぞれ言いたいことは同じであったりする。生活環境も肩書も違っているのに、抱えている疑問や不満が一緒だったり、置かれている現状が同じだったりするのだ。
以前驚いたのは、職場で酷い目に遭っていた私と時期を同じくして、別の職場で友達が悪質ないじめに遭っていたことであった。そんなことまで仲良くしなくても…と私達は思ったが、別に其々がそうあろうと望んだわけでもなんでもないのに、何故か変な偶然まで重なる。
同じ状況下に生きることで、共感は増し、互いを叱咤激励しながら再び絆を深めることには繋がる。しかし「何故こういう状況に陥るのか」や「加害者の考えていることがわからない」など、自分達の予想の範囲を超える部分に対し、どちらも汲み取ることが出来ない為に、結局置かれている不幸な状況から脱却する解決策は生まれないのである。
酷いいじめに遭っている友人は、加害者の写真とプロフィールを見せながら言った。
「これ持って今度占い師のところ行って来るわ!」
彼女の行きつけの占い師は、誰のものでも写真とプロフィールさえ持って行けば、それについて占って助言してくれるらしい。
「辞めたくてもあと一年はどうしても働かなあかん。けど今の状況はしんどすぎるから、この人とどうやったらうまくやっていけるのか聞いてくる!」
辛い状況の中で、最善の方法を探し、立ち向かおうとする友に脱帽する。〝逃げる〟のでもなく〝闘う〟のでもなく、自分を傷付ける相手と〝協調〟しようと考える心意気を、心から素晴らしいと思った。しかも占い師に頼るという切実さ。誰に相談しても解決の糸口が見えないのは、彼女にとっても〝類が友を呼んでいる〟所以であろう。
友とは主に、似た者同士の集まりなのかも知れないが、私はまだまだ至らないことだらけ。しかし立ち位置が同じである以上に、尊敬出来る要素を兼ね備えているから、いつまでも友達でいたいと思うのかも知れない。