人間断捨離 ①

【断捨離】という言葉を知って、幾久しい。
 嘗て親がゴミ屋敷に住んでおり、それを快く思わずに生きて来たので、物は大事に使う方だが、寿命と見限れば、自分は潔く捨てる方だと思っている。
 かといって必ずしも物の少ない部屋に住んでいるわけではなく、そこそこ物は多い。特に衣類。
 したい仕事を続けられない事情が出来て、更に雇ってくれる店等があるなら、服屋さんで働くというのも選択肢として無くはないと思っている。そんな考えすら頭の片隅に生まれるほど衣服というものが好きなので、実際箪笥もクローゼットも衣類で溢れ返っている。
しかしゴミ屋敷には住みたくないので、整理整頓にはかなり気を遣い、時と共に乱れが生じても、定期的に整理し直すなど、自分なりの配慮は怠らない。
 依って、私の人生に【断捨離】というものは、特に必要ないと思っている。わざわざイベント化して切り捨てるような、思い切った決意を持って行うべきものでもないのである。
 
 物を断捨離する必要に迫られない人生を歩んではいるが、このところ、人を断捨離しなければならない転機に差し掛かっているような気がする。
 元々狭く深くの人間関係。依って、長く続くのはほんの僅かな人々なのだが、そのほんの僅か…が、続かなくなっているようであるのだ。
 それは正直、自分の本意ではない。
 人として好きな人とは、末永くお付き合いを続けたいと思っているので、極力連絡を取るようにしてきたはず。定期的に会う時間を作ることも然り。
事情があって、会う時間が取れない場合は、せめて誕生日にメールを送るなど、相手からのアプローチが途絶えたとしても、それが話を前に進めるきっかけになったりするので、付き合いを継続する上で、大切にしてきたことのひとつであった。
 しかし今年になって、人と前触れなく連絡が取れなくなる…ということが何件か続いた。メールがエラーで返って来る。電話を掛けても出ない。しかし年賀状は届き、「今年も会いたいね」などと書いてあったりする。何なん、これ。社交辞令ってやつ?
 元々、人を粗末にするような人たちではないから、私はその人が好きだったし、長く続いて行く縁だと信じていたのだが、ちょっと首を傾げる事態。あまりにも続くので心が折れそうになった。
 誰かに相談…といっても、誰にしたらいいのやら。今まで相談というものが出来ていた相手から仕打ちがこれなのだから、相談する相手など他にはない。私って、友達、思ってた以上に少なかったみたいだ。
 孤独に苛まれるが、世の中がどうなっているのか解らないので、文明の利器に頼り、ネット上の様々な意見を垣間見ることにする。すると、意外や意外、私のような経験をしている人って、結構いるんだ…と驚いた。
 女の人は特に、結婚や出産など、人生の転機を迎える度に、人間関係がリセットされるきっかけになったりするらしい。勿論、長く長く同じ人と繋がり合っている人も少なくなく、私は自分の人生においても、人間関係とはそうあって欲しいと考えていたのだが、そもそも私自身、人生の転機となるようなきっかけが、転職という一点に限ったせいで、恐らく他の人々よりも、一部の人間関係に固執し過ぎていたのかも知れなかった。
 好きな相手は余程何かとんでもなく嫌なことが無い限り、ずっと好きなまま変わることが無い。定期的に会っていた相手とは、引き続き会っていたいし、事情が許さない何かがあるのであれば、誤解のないよう、相手を傷つけないよう、言葉で伝えるなり何らかのアクションを起こしてしておく…というのが、好きな相手を尊重することに繋がると信じていた。それが相手への配慮であり、マナーであり、人を大切にすることに繋がっていると思っていたし、恐らくその考えは今後も変わらない。
 しかし世の中の全ての人が同じ考えであることは、どうやらとても難しいようなのだ。そして、相手から配慮に欠ける仕打ちを受けたと感じるようなことがあった私は、やはり、相手にとってそれだけの人間で、それが厳しくて切ない現実なのだということを知った。
 打ちのめされたし、人間不信にも陥りかねないダメージ。善良と思っていた友が、必ずしもそうでなかったという事実。もしくは、善良だけれども、彼らにとって私はもう、必要の無くなった人間という過去の遺物なのかも知れなかった。
 沢山のことを考える。
 今まで何人かの結婚式に招かれたが、何故か結婚式に出席した相手とは、その後縁が途絶えた。酷い相手だと、年賀状の挨拶すら来なくなった。
 
 ある友とは、彼女が仕事を辞めて家庭に入ったことで、学生時代以来、ようやく月一のペースで会えるようになった。ところが再会から一年。夫が家を買うと言い出したと言い、今後は貯金をしなければいけないから会えないと宣言された。
 月一回、千円前後のランチさえ、節約の対象なのかと驚いたが、EXILEのコンサートには行ってるんだよね?とは言えず、そのまま疎遠になった。
 
 メールアドレスが変わっていて、連絡が付かなくなった友。彼女とはそういうことが過去にもあったが、メカに弱いだけで、その都度大騒ぎして別の友達が間に入り、無事繋がっていた。今回も何とかなったが、「会いたいね」と言いつつ、「では会おう」と計画を立てる段階になる度、連絡が途絶える。最後には「メール見ないから、緊急の場合は電話して」と…。緊急って何?そろそろ死にそう…とかそんなんか?
 
 何年振りかに、夜中、連絡をくれた友が、「明日会える?」と言う。どうやら休日の度にいつも子供の面倒を見てくれていた姉が旅行で留守になるそうで、前々から「また時間があったら会おうね」と言っていた私にお鉢が回って来たらしい。
「会いたいって言ってくれてたから」…って、なんや、会いたいと思ってたのは私だけやったんか。だからって、明日?急すぎやろ!と思いつつ、彼女の結婚式以来、数年ぶりに再会。しかしその後再び音信不通に…。
 
 お互いの転職で疎遠になった友人に、せめて年に一度は…と夏休みを利用して食事に行っていたが、今年はメールに返信が来ず…。一ヶ月を過ぎたのでそろそろ潮時かと諦めかけた頃、電話に着信が入っていた。折り返すべきだが、生活リズムが違い過ぎてこちらから掛けるには失礼な時間になるため、メールにて返信。しかし相変わらず連絡はなく、また一週間ほどして着信。メールの返信と着信履歴の往復が二度ほど続き、結局核心に辿り着かぬまま二ヶ月ほどが経過した頃、メールが送られて来た。
 どうやら何かメールが出来なくなる事情があった様子なのだが、詳しくことはわからず。近いところの予定を探るが、既にお互い埋まっていて、先も怪しいとなり、ドロップアウトと相なった。
 
 ある人とは同じく、メールが届かなくなった。
 SNSを使って何とか連絡を試みるが、こちらからの連絡は行っているようなのに、返事が来ない。元々返事の遅い人であったが、決して人を粗末に扱うタイプではないので、いつものように気長に待つ。
 しかし普段以上に連絡が来ないので、何か大変なことでもあったのではないかと思い、仕事が終わった頃を見計らって電話を掛けた。しかしやっぱり出ない。
 いよいよ命に関わるような事でもあったのでは…と心配し始めた頃、ようやく相手から着信が入った。しかもこちらが仕事中と知っているはずの平日真昼間。
 職業柄、勤務中に私用電話を取ることが出来ない為、確実に言葉を伝えようと思えばメールになる。ハガキや手紙と言う手もあるが、昨今ではひと手間掛かるツールとして分類されてしまうものなので、それこそ一方的になり、信用ならない。 
 最終的にメールで返事が来たが、近況報告もままならないような風情。連絡が取れなくなって心配していたことも無意識だったようで、取り敢えずちゃんと生きているということだけはわかった。
 人を粗末に扱うタイプではない…というのは、私の思い込みだった可能性も考えられる結果となった。

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