1月27日 ③
見方によっては、年の変わり目を節分とするようである。そうとするなら今日は、今年が終わる丁度一週間前ということになる。元旦を年の初めと見れば、私は年の変わり目を新しい気持ちで迎えられない状態だった。届かない結果に思い悩み、記された期限を守らずに沈黙を貫く見えない相手に、振り回され続けたのである。
節分を機に新年を迎えるというのなら、そのために自分を癒し、切り替える一週間にしたいと心から思う。
正直、一寸先は闇でしかなく、何処に光があるのか見当もつかない毎日が、突然変わる想像など全くできない。想像出来ないことは形にならないと知っているから、今は怖くて仕方がない。しかし、想像出来たことすら形にはならなかった。ならば、今までとは違った何かが、私を待っている可能性だってあるはずである。
自分の力だけではどうしようもないことに、私は悩み、時間を使い過ぎている。既に始めているのは、悩む時間を祈る時間にシフトチェンジすることだ。神が、仏が、ご先祖様が、私に何をしてくださるか、信じるしかない。私の力はちっぽけで、運や縁どころか、チャンスすら手にすることが出来ないのだから…。
どうか力を貸してください。結果が出たら、決して助力を無駄にせず、世の中に貢献できるよう努力します。
そしていつか、一刻も早く失意を吐き出さなければ明日をも迎えられないと苦しみに支配され、日付が変わる前に、今日、三度目のパソコンを開いて、ひたすら書き続けたこの時間が無駄にはならなかったこと、そしてやがて、今日もがいたことが懐かしく、笑い話に替わる日が、一日でも早く訪れますように…。