「就職氷河期世代」集中支援策

【厚生労働省は二十九日、バブル崩壊後の就職難で安定した職に就けなかったり、引きこもったりしている「就職氷河期世代」の集中支援策を公表した。】
 起き抜けの身支度中、朝のラジオで耳にしたのは数年前。
 思いがけず浮足立ち、直後に早速調べてみた。
 
 先ず、《就職氷河期世代》とは…
 就職難に陥った一九九三年頃~二〇〇四年頃の約十年、就職氷河期と呼ばれた時期に高校や大学を卒業した、現在三十代半ばから四十代半ば頃の世代(支援策発表当時)を指す。
 バブル経済崩壊後の景気後退で企業が新卒採用を抑制したため、卒業後も非正規雇用で働かざるを得ない人が続出。その後、景気回復で正社員となったケースもあるが、非正規期間が長く、十分な能力を身につける機会がなかったために、安定した職業につけていない場合も多い。最初のつまずきから自信を失い、引きこもりなどになった人もいる。他の世代に比べ非正規労働者として割合が高く、その分所得も低い。社会保険料を十分払えず、高齢になって低年金や無年金で生活が困窮する恐れがあり、厚生労働省がようやく重い腰を上げて対応に乗り出した…というわけだ。
 支援策によると、【都道府県が経済団体や人手不足の業界団体と連携。この世代の採用や処遇改善、社会参加を後押しし、実施計画や目標に照らして都道府県ごとに支援の進み具合を点検。支援策の周知や企業への働き掛けを行う。】のだそう。また、【就職の実現や正社員への移行に向けて、都道府県と企業が連携する新たな枠組みを作り、支援の実施計画や目標を求めるのが柱】だというが、【高齢になって生活困窮に陥るのを防ぐために雇用を安定させ、将来的な社会保障費の膨張を防ぐ。】のが最たる狙いだと読まれている。
 この他に、【非正規労働者が正社員になれるよう、就労支援のノウハウを持つ民間業者に教育訓練を委託し、ハローワークに専門窓口を設置。人手不足の運輸業や建設業などの団体と連携し、短期間で資格が取得できるよう支援。経済団体に世代を限定した求人をするよう呼び掛けつつ、関連する助成金の要件の緩和も通じて採用を促す。】とある。
 長期間無職の人や引きこもりの人に向けては「地域若者サポートステーション」の年齢上限を四十歳未満から五十歳ごろまで引き上げるとのこと。
 
 この時点でツッコミどころ満載だな…と感じるのは、私が捻くれまくっているせいか。
 先ず、【都道府県が経済団体や人手不足の業界団体と連携。この世代の採用や処遇改善、社会参加を後押しし、実施計画や目標に照らして都道府県ごとに支援の進み具合を点検。支援策の周知や企業への働き掛けを行う】【就職の実現や正社員への移行に向けて、都道府県と企業が連携する新たな枠組みを作り、支援の実施計画や目標を求める】【非正規労働者が正社員になれるよう、就労支援のノウハウを持つ民間業者に教育訓練を委託し、ハローワークに専門窓口を設置。各種団体と連携し、短期間で資格が取得できるよう支援。経済団体に世代を限定した求人をするよう呼び掛けつつ、関連する助成金の要件の緩和も通じて採用を促す】
 いずれも時間も随分かかりそうである。
 また、【非正規期間が長く、十分な能力を身につける機会がなかったために、安定した職業につけていない場合も多い】という点。職種や仕事内容にも因るだろうが、〝非正規〟イコール〝十分な能力を身につける機会がない〟というのが引っ掛かる。
 現状として、正規との差がわからないような職務内容でありながら、〝非正規〟という雇用条件の違いだけで経済的に苦しんでいる人々が山のようにいる。現在もあちこちで問題になっているというのに、厚労省はその辺りのことをどのように見ているのだろうか?
 実際、正規がその立場と名称だけを利用して胡坐をかいているような雇用格差の大きな職場を、私は幾つも経験した。年功序列や経験主義というものは昔からあったであろうが、雇用格差という新たな違いが加算されることにより、メリットを感じて仕事をしている人間が少なからず存在する。それが一体誰なのか、よくよく考えてのことかと目も耳も疑った。
 上に立つ者が必ずしも〝仕事〟をしているわけではないし、能力が高いわけでもない。デスクの下でスマホゲームをしている人間の仕事を「自分の仕事を置いてでも手伝え」と言った嘗ての上司は、常時ぼんやり座っているか、人目も気にせず机上に伏せって眠っていることを仕事にしていた。これは特殊な例かも知れないが、何でもかんでも十把一絡げにしている時点で、調査能力に欠けていると感じる。時代や世代を理由にした人権侵害も甚だしい。
 安定した職業につけていない場合が多い理由を、非正規で能力の向上を望めなかったことにするのは危険だと感じる。他の世代に比べ非正規労働者として割合が高く、その分所得も低いのは、必ずしも能力が低いからではないはずだからだ。低賃金でも働き手がそれなりの働きをすれば、雇用主にとってそんなに美味しい話はない。何故それがわからないのだろう。
 人並の生活を営むために必要な報酬や保証を確保されなくても、生きるために仕事を要する人間に対する、非人道的な職場は山のようにあるではないか。馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。
 社会保険料を十分払えず、高齢になって低年金や無年金で生活が困窮する恐れがある。最初のつまずきから自信を失い、引きこもりなどになった人が多い。それらを引き起こす原因を作ったのは一体何者か?それを長年放置していたのは誰なのか?
 即戦力となっている人材が最低賃金で働き、経験も積んでいない若年層が正規雇用というブランドを盾に、生活を保証されている現状を知って言っているのか。そういった職場に、何故指導が入らないのか、まるで理解が出来ない。
 人手不足の運輸業や建設業などの団体と連携し、短期間で資格が取得できるよう支援。経済団体に世代を限定した求人をするよう呼び掛けつつ、関連する助成金の要件の緩和も通じて採用を促す…という点に関し、学のない私は希望を失ってしまった。
 一石二鳥な趣を感じないわけではない。しかし人手が足りないところに、正規雇用されたい人間を宛がって穴埋めするのだと言われているようで、人道的措置とは思えない。
 就職氷河期世代に、仕事を選ぶ自由はないのかと悩む。適正どうのなどと言っている場合ではない。合おうが合わまいが、世の中の役に立って困窮生活と社会保障費の膨張から脱せよと言われている気になる。そうでないのなら、誰かわかるように説明してほしい。
 やりたいことや好きなことを仕事に出来ている人はほんの一部だというが、やりたくないことや嫌いなことを仕事にして生きることが、幸福に直結しているとは思えない。勿論それぞれに妥協点は存在するだろう。しかし、行き場を限定されてしまうと、逃げ道すらないのかと思える。就職氷河期世代に、幸福追求権は与えられていないのだろうか?
 私の働く学校に、私と同世代の正規職員はいない。見事に欠落した世代だったのだということがわかる。直近でも三つ四つ上か下。新卒採用を避けて就業した人がいるとしても、知っているだけでも他所に数名という、非常に低い割合だ。
 正規雇用の機会を逃したものの、専門職として働いてきたキャリアは、〝経験〟として価値を与えられるものでは無いのだろうか?一人で熟してきた仕事も山のようにあり、自己評価としては決して悪くはないと思うのだが、最近、それらを失墜されるだけの破壊力を持った、職業価値を問う事件に見舞われたばかりであることも重なり、何とも気鬱である。
 
 政府が六月にまとめる経済財政運営の指針「骨太方針」に盛り込むとあるので、詳細に注目したいところだったが、これを書いて数年後の現在、書類を送った分だけ不採用通知が届くのが当たり前になっているのが紛れも無い現実である。就職氷河期世代にドンピシャで、未だ雇用問題の渦中であっぷあっぷしながら、未来を静観出来ていない身の上。その他多くの政治施策と同じように、ぬか喜びさせるだけさせて大失敗を期すというような事態を引き起こさないものであって欲しいと、切に願ったのは、もう遠い昔のことのような気がしている。

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