缶コーヒーが飲めなくなった
いつもなら午前中から始動する、一ヶ月に一回程度の観劇が、今回は午後からになった。
数十年間、一公演一回は観ていたのに、それこそ数十年ぶりにチケットを手に入れることに失敗し、前回、期待の演目を見逃したことから、次の作品にいつもとは違うルートで応募したら、あっさり取れてしまったのだ。更にいつも応募する方でも取れてしまった。必要ないのに、一公演二回も観ることになってしまった。チケット代も倍以上になるため、不正を働いて横流しを試みようかと本気で考えたが、何処からか足がついて、以後、応募しても入手できなくなっては困る。その他諸々もあって結局面倒臭くなり、〝マスク緩和〟とか〝5類に引き下げ〟とかで、世の中のコロナ禍から距離が出だしたとはいえ、いつ公演中止となるかもわからないような時期だったため、観念して出かけることに決めたわけである。
いつもは午前開演の公演と決めている。千秋楽前の後半に取れた方は午前公演だが、初日翌日の今回は午後開演だった。午前公演と同じ時間に出発して、いつも観劇後に回る各所で先に用事を済ませる予定だったが、前々日に次回公演のチケット抽選発売に外れ、当日十時から先着順に応募しなければならなくなった。依って、午後開始の公演で幸いだったのである。
30分ほどパソコンとスマホを両手で操作して挑戦した結果、何とか次回公演は確保できたので、そのまま身支度を整えて出発した。
巻きでルーティーンを熟し、いつもなら帰りの地下鉄に乗る前にお茶するパン屋でパンのみ購入する。コーヒーもテイクアウトできるが、この後劇場内で遅めの昼食を摂る予定だ。お茶するのは幕間と決めていたので、今購入してもテイクアウトだと冷めてしまうため、劇場かその付近で、飲み物だけ調達しようと思っていた。
私鉄に乗る前、少し時間があったため、駅構内のコンビニや高級スーパーを覗きはしたが、いずれもたった一本のペットボトルが馬鹿みたいに高い。普段、買うとしたら、ドラッグストアやスーパーの安売りにしか手を出さないせいで、同じ商品を所謂正規料金で買う気にどうしてもなれなかった。勿論、店内でコーヒーを飲んだらその何倍もするから、それに比べると明らかに安値なのだが、そもそも比較したところで味がまるで違う。店内の淹れ立てコーヒーからランクを下げるのに、もっと安く売っていることを知っている流通販売物を、わざわざ高く買うのは、無職無収入の人間がすることではない。
目的の駅に着き、最初の横断歩道を渡ると、自動販売機があった。普段、自動販売機を使うことはほぼない。しかしこのまま行けば、劇場内でも自動販売機を使うことになりそうだ。とはいえその頃は、カップインタイプのそれさえ、コロナ対策で販売停止になっていたと記憶する。このままでは、味のわからないフードコートや喫茶室でコーヒーだけ飲んで、購入したパンは別の場所に移動して口にするか、食べ損ねることになりそうだった。
横断歩道を渡り、三台か四台並んだ販売機を眺める。正規価格より数十円安かった。ワンコインで買えるものもあったが、量がそれだけ少ない。もう一枚コインを足して、某有名コーヒー店のブランドが入った一本を購入した。
貸切公演は通常公演より30分開始が遅いのだと、食事を済ませ、入場口の長蛇の列が動かないのを見て、先に売店を覗こうと移動した時に初めて知った。公演時間が書かれた看板を見て、失敗に気付いたのである。結果、一時間を無駄にした。
開演前にオペラグラスを落として壊してしまった。覗けばレンズの向こうが二重に見える。右の接眼レンズが外れてしまい、左目だけを酷使することになった。勿論ちゃんと見えない。外れたレンズを何とかつけようと四苦八苦しながら、一幕が終わった。
今回、パンを失敗したと感じた。いつも買う二点に加え、気になった一点を足したのだが、好みが偏っているということを実感する。どれも同系統の味なのだ。帰りは予定以上に遅くなるだろうし、夕食を何処かで摂る気もなかったから、幕間の30分にすべて詰め込んだが、保温バッグに入れていたとはいえ、ほぼ冷めてしまった缶コーヒーを口にして、その異質な味に思わず顔をしかめた。何だか薬の味がするのだ。原材料を見たが、特殊な添加物などが入っている様子はない。防腐剤とか、そういった類の記載もなかった。とはいえ、缶に密閉され、製造年月日から消費期限まで、本来のナマモノに比べると期間が長いのは当然であろう。表示を見たが、賞味期限は数ヶ月先だったので、古いわけでもないのである。この、薬品臭さは何なのだろう。
元々、子どもに、コーヒーを飲ませない家で育った。母はカフェインがきついから…と、紅茶は入れてくれたが、コーヒーは、「受験勉強するようになってから」と飲ませてくれなかった。後に知った情報によると、紅茶の方がカフェインはきついようだが、耐性が出来たのか、紅茶では何ともないのに、コーヒーを飲んだら眠れなくなるタイプの大人になった。実際、受験勉強のために、コーヒーを淹れてもらったこともない。多分、そもそもまともに受験勉強などしなかったからだろう。
働くようになって、コーヒーは、眠気覚ましに使うようになった。やがてお茶の時間も、紅茶ではなくコーヒーを好むようになっていった。あれば砂糖やミルクは必須だったため、自分のデスクを持つ仕事をするようになってからは、安価なスティックタイプを常備していた。砂糖もミルクも入っているから、熱湯で溶かすだけで手軽に飲める。疲れを緩和させるために大方甘いものを口にするので、糖質過多が気になり出したのと、口の中が永遠に甘いので、低糖のものへと移行した。
外食で出された食後のコーヒーに度肝を抜かれ、コーヒーなんてどれも同じ…という概念が覆されたのを機に、せめてコーヒーくらい美味しいものを…と、紆余曲折を経て現在はドリップタイプに移行した。家では牛乳だけを足す。スティックタイプに比べると確かに値は張るが、一人一杯分の一袋を我が家は二人で割るので痛手は少ない。私は濃い目が好きだが、私の何倍もコーヒーユーザーとしての歴史が長い母の方が、アメリカンを好むタイプだからである。どちらかが不在で母娘で割れない時は、いただき物のスティックで間に合わせている。
ドリップとはいえ、味にこだわって購入したものを連日飲んでいると、舌はそれに馴染んでしまうのだろう。コーヒーデビューが、甘い甘いUCCの缶コーヒーで、それが好きでたまらなかったのに、いつの間にか、缶コーヒーが飲めない舌になってしまったらしい。因みに、スーパーのお弁当やお惣菜も、このところ喜んで食べられなくなっている。毎日作る自分の食事に飽きて来た…筈なのにだ。これって…良いのか悪いのかわからない。
取り敢えず、次回店でコーヒーを飲む時間が取れない時は、自宅からポットにドリップコーヒーを淹れて持っていくことにしようと思う。