嫌う人

 昔から、一部の人に特別嫌われる。嫌われる…というのが正しい表現かは判らないが、極端なほど明確に〝シャットダウン〟されるのだ。
 
 Bとは出席番号順が前後する短大の同級生だったが、彼女には私という人間が見えないようであった。
 友人四・五人で話をしていても、私の言葉にだけは耳を傾けず、目も合わせない。グループで歩いていても、必ずその内の誰かの横に張り付いて少し離れて歩き、私の傍には決して寄ろうとしなかった。必要に迫られて話しかけても無視されるのが常で、未だ純真だった私は心から傷付いた。
 特に何かあったわけではなく、それは入学して直ぐからであった。お互いがどんな人間かも知らず、社交辞令的挨拶さえ交わされる前からそうなのである。Bの前には、常に私との間に防弾ガラス並みに強靭な、見えない壁が立てられているようであった。
 結局、理由を問いただすことも出来ず(是非とも問いただしたかったが、私の独り言になりそうなので断念した)、Bとは私にとって〝そういう人〟なのだと思うことで、極力関わらないよう心掛けることにした。
 BはS子が好きだったように思う。S子は特に愛想が良いわけでもなく、どちらかというと大人しく落ち着いていて、主張の少ないタイプであった。そういうところが彼女の人受けする所以だったのかも知れない。S子と私は着かず離れずの穏やかな友人関係を築きつつあったが、Bにとってはそんな私が〝目の上のたんこぶ〟だったのかも知れない。
 しかし、目の前に居るのに、まるで居ないように扱うほど嫌われていた私って一体…。その手段が生み出す結果の大きさが想像出来ないだけに、彼女の心を理解することは、時を経た今でも、私には難しい。
 
 社会に出てからは、また別の形で或る人に嫌われた。
 就職浪人状態で働き始めたアルバイト先では、〝仕事を回してもらえない〟という形での嫌がらせを受けた。
 Tさんは周囲からの評価が非常に高い人で、良い噂以外聞いたことがなかったというのに、何故か私に対する風当たりが強かった。そうなると私に逃げ道はなく、自分が出来ない人間だから仕方ないのだとしか思えなくなった。私にとって非情な人間でも、他の誰もその人のことを悪く言わないのだから、非は自分にあるのだと考えざるを得ない。Tさんとはペアで仕事をする関係だったが、私と同時期にアルバイトに入ったHには回す仕事も、私には与えなかった。
 因みにHはサブの立場である。しつこいようだが、私はTさんとはペアと位置付けられた間柄。言い方を替えれば〝相棒〟である。しかし彼女の信頼を得て仕事を与えられるのは、言わば部外者のHなのだった。
 私は一体、Tさんに対して何をしでかしたのだろう。苦悶する日々であったが、思い当たって改めるなり謝罪するなりして信頼を回復することは、ついに出来なかった。
 私は他人に認められるほど〝考えすぎるぐらい考える〟人間であったというのに、結局理解出来なかったのは、嘗てのB同様、Tさんの場合も〝特に何かあったわけではなく、最初からそうだった〟ということが大きかったからのように思う。もしかすると、BにもTさんにも、何かそうさせるに値する理由があったのかも知れないが、〝シャットダウン〟することに関して苦言を呈されたこともなく、話し合う余地すらなかった為に、皺の少ない私の頭では〝理由は判らないが唯々嫌われている〟と受け止める以外に、原因を究明することは出来なかった。
 
 そして今、Tさん以来、十数年ぶりの〝シャットダウン〟を経験している。
 私はこの春、自分の意志や想定の範囲を超越した形で、一年契約であることを前提に已む無く転職した。
 事前情報でのFさんは、大らかで人柄が良く、複数の仕事を一人でもバリバリこなす、所謂〝出来る人〟。共通の知り合いであった友人は「Fさんと一緒の職場やねんな。私、あの人大好きやねん。すっごい良い人!良かったなー」とのたまう。未だFさんに会ったことの無い私であったが、信頼する友人の言葉に背中を押され、新しい環境への不安が、ほんの少し期待へと変わったのだった。
 Fさんは確かに大らかで豪快な人であった。見た目も大柄で、声も非常に大きく、アピール力に満ちていて、何処に居ても見付けられる。チームの中では最年長だが、職場経験では私を含む新人三名の次に新しい人材。古株というわけではなかったが、職務経験が豊かなせいか、他の誰を差し置いても、〝ボス〟と呼んで然るべき存在感である。いつもチームの中心となって働き、常にバタバタと忙しそうに動き回っている半面、発言も実にしっかりしていて、説得力とユーモアに溢れていた。
 しかし彼女は、何故か絶対に私の顔を見ないのである。
 新人三人に何か教育的指示を行う時は勿論、私が質問しても、別の誰かの方を向いて答えへと繋ぐ。又、私に言いたいのであろうことも、他の誰かを介して私に届くような言い方をした。
 例えば、明らかに私がしたであろう仕事に不満があったのだとする。それを私本人には言わず、「なぁ、○○ちゃん。これってこんな風にするんやった?ここはこうゆうもんやったやんなぁ?」という具合に、近くに居る私に聞こえるようには言うが、直接話しかけたり指摘を与えるような言い方はしないのであった。
 又、Fさんの発言は、度々私を刺激するものがあった。
「なぁなぁ、これ見てみ。これはあかんやろー。どうすんねんこんなんで。△△さん(上司)に言ったらなあかんわ(笑)」
「もうな、この人にはここの時間にとっとと休憩行っといてもらったらいいねん。もう、とっとと行って帰って来てもらう!」
 言葉の先には大抵、勤務の割り振りが書かれた書類などがある。見て判るのは、それが私に宛がわれた初めての仕事であったり、特に理由も見当たらないのに、他のスタッフや通常の規定より一時間も早く組まれた私への休憩時間であったりした。
『この人は一体、私を何だと思ってるのか…』
 私には、彼女の言動自体がまるで理解出来なかった。
 彼女は私より年長であり、職務経験も職場経験も上で、それこそ〝出来る人〟であるのかも知れないが、雇用契約上は同等であり、上司でも部下でもないのだ。なのに同僚となってひと月ほどの人間に対し、何故ここまで失礼でいられるのだろう。しかも、特に密接に関わったわけでもなく、殆んど顔も見ず口も利かず〝スルー〟し続けてきた人間に、そのような感じの悪い態度を取ることで、一体何を得たいのだろうか。
 私は別に、世界中の人全てに愛されようなどと言うのではない。唯、敢えて嫌われようなどとも思わない為、及ぶ範囲での気遣いは怠らないし、必要最低限のマナーは弁えた人的対応を心掛けているつもりだ。人には相性というものがあるし、合わない人がいたからと言って、それを無理に合うようにすることが得策だとも思っていない。しかし、合わないからと言って波風立てる必要があるだろうか。普通で良いやん、普通で!
「あの人大好きやねん。すっごい良い人!」と笑顔で言った友人…〝人柄が良い〟と言い続ける知人達…私は吐き気がした。
 私が周囲の評価から遠いところで不満を抱えるのは、Tさんの時と同じであった。又、性格や人としてのタイプは全く違うが、多くの信頼を勝ち得て〝出来る人〟と評される点では、TさんとFさんは同じであった。
 この二人ほど強烈な印象は無いものの、行く先々で私を嫌う人はいる。そして何故かその多くは、社会的地位が高かったり、周りからの評判が良い人であったりする。お陰で私は酷く生きにくかったりするのだが、嫌われる心当たりがないだけに、毎回苦悶の日々を過ごすことになるのであった。
 これほどまでに、一部の人間から嫌悪される私とは一体何なのだろうか…。
 Fさんの影響力かどうかは謎であるが、このところ私は自分の傍に同僚を見かけなくなった。
『何処で何を言われているのかわからんな…』
 半ば被害妄想に陥りつつ、私は嘗て自分を救ってくれた恩人の言葉を心の中で繰り返す。
〝平常心……鈍感力……〟。
 まだ始まったばかり…一年の先は長い。

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