学級閉鎖と顔面大洪水

 インフルエンザが蔓延している。市内の小中学校では、学級閉鎖が相次ぎ、職員の間でもちらほら倒れる者が出だした。かという私はインフルエンザに罹ったことがなく、そのしんどさすら知らない。もしかしたら将来、インフルエンザが死因になるのではないかと予想するほど、毎年流行に乗ることが無いのだ。
 とはいえ、今年は思いがけず酷い風邪をこじらせた。くしゃみ鼻水が急に出だしたので、そろそろ花粉も飛び始めていると聞いたこともあり、酷い花粉症の私は『今年も来たか』と覚悟を決めたが、数日後には入れ替わりで喉が痛み出し、やがて咳が止まらなくなった。身体がだるいのは咳とくしゃみで体力を消耗しているせいかと思ったのだが、何と微熱があった。高くはないが、毎日微熱。休むほどではないから仕事に行くが、帰るとやっぱり熱が上がった。変声期のように声が変わり、まるで酒焼けした場末のバーのママみたいだ。(場末のバーのママに知り合いはいない。先入観でごめんなさい。)
 ある時、絵本の読み聞かせ中に咳込み、止まらなくなった挙句、咳をし過ぎて嘔吐き出した。子ども達は目が点に…。授業に付き添っていた担任の先生が機転を利かせて読み聞かせを代わって下さったのだが、その背後で咳と一緒に涙がぼろぼろに出るほど苦しんだ。
 医者へ行かねばいよいよヤバいか…と思い出した頃、恐らく花粉症ではなかったくしゃみ鼻水と、連日続いた微熱が治まり始めた。残るは酒焼け状態の声変わりと最も酷い咳だけ。咳は一度出だすと1ヶ月は続くくらい、いつも治りが遅い。今更医者に行って、罹ったことのないインフルエンザをもらったりしても嫌だな…と思い、水とのど飴を常に手の届くところに常備することで、何とか乗り切ろうと決めた。
 
 インフルエンザのピークもそろそろ過ぎたか…という2月の終わり、昼休憩に職員室で食事を摂っていたら、翌金曜日から5年生が学年閉鎖になる…と小耳に挟んだ。各学年一クラスの小規模校なので、〝学級閉鎖〟ではなく〝学年閉鎖〟らしい。どっちでも同じ気がするのだが…。
 食後、昼休みに図書室を開ける為、バタバタと引き上げる。チャイムと同時くらいで図書委員の当番が来るはずだが、まだ来ていないようであった。もしかしたら〝学年閉鎖〟の要因となった一人か…と思っていた矢先、顔の穴という穴から水分を放出させ、絶叫しながら図書委員の彼女が飛び込んで来た。
「どないしたん!」
 何事かと、こちらも思わず叫ぶ。
「うわぁぁぁぁーんっ!」と泣き叫ぶ彼女。
「明日から学級閉鎖―っ!」(学年閉鎖…らしいよ。)
「そうらしいね。」(嬉しいんじゃないの?元気な人にとっては。)
「クロワッサン、食べたかったのにぃ―!」
???…?
「くろ…わっさん?」(何の話か…?)
「明日の給食、クロワッサン!わたし去年も食べれなかった―っ!」
 更に泣く彼女。
「そうなんや、クロワッサン好きなんや。またお家の人に買ってもらったら?」
「給食のクロワッサンが食べたかったのぉーっ!楽しみにしてたのにぃーっ!うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっんっ!!!」
 更に更に大号泣!
 慰めたつもりが、どうやら火に油を注いでしまったらしい。
 よくよく話を聞くと、学校給食のクロワッサンは、年に1・2回しか出ないらしい。で、彼女が去年そのクロワッサンを食べられなかったのは、彼女自身がインフルエンザに罹った上、学年閉鎖になったせいだとか。そして今年、自分は元気なのに学年閉鎖。何と理不尽な!ということのようである。
『そんなんしゃーないやん』
 しかし、色々と拘りの強い人なのだ。とはいえ、まるで親でも死んだか、世界の終わりが来たかというような泣きっぷり。たまたま利用者は少なかったが、図書室に居た他の児童が怪訝な顔で見つめるくらい悲劇的な形相で泣き叫ぶ。図書室は…〝静かに過ごす〟場所では無かったか?図書委員よ。
 ちょっとプチンと来た私は、ボックスティッシュを箱ごと彼女に手渡し、取り敢えずその洪水を堰き止めよ!と往なす。そして極力自身の苛々を押し止めながら、淡々と説いた。
 
◎給食のクロワッサンは食べられなくても、来年また給食に出る。
◎この世からクロワッサンは無くならない。パン屋ででもスーパーででも、お家の人に頼んでそのくらい買ってもらいなさい。
◎今年のあなたは元気だけど、去年あなたが休んだことで学級閉鎖になり、クロワッサンを食べられなかった人も居たはず。そのことを考えてごらん。
◎クロワッサンが食べられないくらいでそんなに泣いてたら、これからもっと辛いことや大変なことがあるかも知れないのにどうやって生きて行くの?
etc…etc…etc…
 
 啜り泣きながらも神妙に話を聞いていた彼女であるが、この手のタイプには深い懐で受容することも必要だったかと思い直す。
「クロワッサン、楽しみにしてたんやね…」呟いた途端…
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーんっっっ!」
 私の方がまだまだ学習が足りなかったようだ。
 
 放課後、5年生の担任と支援学級の先生が話をしているところに出くわした為、昼休みの一件をお伝えしたところ…
「図書の先生にも怒られたーって、ショックやったみたい(笑)」と支援の先生。(にも…とは、それ以前にも?)
「他の子達は、学級閉鎖って聞いて喜んでるのに、クロワッサン食べられへん、って泣くから、皆「そこ?」って。(笑)家カネも(金持ち)やねんから、買ってもらったらいいやん!って言われて、余計に泣いて…「カネもとか言わないで―」って(笑)」
 他の児童にまで〝カネも〟と言われるのは、両親が高級外車でそれぞれ学校に乗り入れているせいらしく、実際のところ、とても豊かなご家庭だという。
 じゃ、クロワッサンぐらい何とでもなるやん!であるが、彼女の場合、そういう問題ではないのであろう。
 それにしても小学校で、あんなに穴という穴から水を放出させて登場する人物に出会ったことが無かったので、かなり衝撃的な出来事であった。
 驚きの余り風邪が一気に治るということは流石に無く、咳は年度終わりまで続いて、滞りなく花粉症へとバトンを受け渡したが、保健の先生に言われてギョッとした。
「今年のインフルエンザ、熱そんなに上がらないタイプのも流行ってたみたいやから、もしかしたらインフルエンザだったのかも知れないですよ?」
 いいえ、絶対違う!と信じているが、ちょっと自信ないかも…。それくらい大変な〝風邪〟でした。

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