警察にお世話になりました ③

 二度書いて、『三度目はありませんように…』と思っていたのに、まさかの三度目が起こった。と言っても、全て自分から関わって行っているような事情。放っておけば関わらずに済んだのに、自分からって…これ、本当に必要だったのか?とそろそろ自らを疑い始めている。
〝出しゃばり〟とか〝お節介〟とか〝余計なお世話〟とか…。いずれも誰かに言われたことはないが、もしかしたらそう思われるようなことだったのかも知れないし、三度の間隔が一ヵ月半と短すぎるので、自分で自分に戒めを科す必要がある気にもなってくる。
 
 最近の精神的疲労と体力の低下に加え、生活リズムを狂わす邪魔が常に入るようになったせいで、時間やタイミングが狂うと、長い転寝をするのが習慣になってしまった。本当は直ぐに入浴して布団に入った方が身体の為なのだが、下手をすれば湯船に浸かっているうちに寝てしまうため、転寝を否定しないようにさえなってきた。本当なら、悩みに囚われて眠れないような精神状態。なのに、そうならずにひたすら寝てしまう。起きた拍子に再び悩みが迫ってくるので目覚めが最悪。出来ればずっと寝ていたい気分でもある。
そんな生活がかれこれ4ヶ月を越したものだから、〝眠れない〟ということは一切ない。
 しかしこの日は珍しく眠れなかった。
〝虫の知らせ〟というもののせいで、〝眠れない〟経験をする体質であることに気付いたのは、阪神淡路大震災の時。それ以前にもそういうことがあったのかも知れないが、はっきりとした自覚はなかった。〝眠れない〟若しくは〝似たようなおかしな夢を見る〟ということがあった後には、少なからず何らかのトラブルが起こる。それが明確にはっきりしたきっかけとなったのが震災だった。
 入眠から数時間、時には気付けば明け方…という、最早転寝ではなく本気寝とも言える眠り。この日、目覚めて時計を見ると、いつもより早く、まだ経って二時間ほどだった。
 良い傾向と捉えて浴室へ向かう。ぬるめの湯にゆっくり浸かり、本を読みながら歯を磨く。頭のてっぺんから全身を洗って出た後、髪を乾かし、録画した三十分のバラエティ番組を観ながらストレッチ。ベッドに入る時、確認した時計は午前二時を僅かに過ぎていた。
 蒸し暑さのせいか、珍しく寝つきが悪い。目が冴えている。悩みについて考えそうになると、現実逃避して想像の世界へ旅立つ。やがて眠りの精が誘い、記憶か遠のくので試みるが、今日に限ってうまくいかなかった。
 耳障りな何かが、シャッターを下ろしたうえで網戸にしている窓の外から聞こえる。なかなか途絶えない。人の声のようだが、話し声とはまた違った。気になって、暑さ対策のためにシャッターを半分しか下ろしていない掃き出し窓からベランダに出てみる。声は逆に聞こえにくくなった。
 シャッターを下ろしていてもベッド側の窓の方がよく聞こえる。ということは、声は隣家からのものだろう。我が家の浴室は隣家の二階の横にある。階段を下りた。
 網戸にしている浴室から外を伺う。隣家の窓はシャッターが閉まっていたが、くぐもった人の声が聞こえる。そして時折、ドンドンという物音がする。暫く耳を澄ますと女の怒声が響いた。
「すわれっ!」とはっきり聞こえた後は、何を言っているのかわからないが、終始絶叫している。時折、男の大声も聞こえる。かと思ったら、火が点いたような子どもの泣き叫ぶ声が耳に入った。
 怒声は止まない。泣き声も止まない。恐ろしくて心臓が早鐘を打つ。一旦ベッドに戻った。
 気付けば時計は二時半を過ぎていた。
 時折、夫婦が喧嘩する声を聴くことはあった。住宅内に工事で来たトラックに、通れないから道を塞ぐなと文句を言いに行く姿を見たこともあった。長期休暇中、帰省や旅行などで留守になる時には、二台は停められるであろう自宅の駐車場に一台の車を横向きや斜めに置き、留守中近所の関係者が無断で駐車することのないよう、あまり見たことのないような対策を施していくご家庭だった。
 先住のご家庭とは親しくしていたが、主が亡くなり、売りに出されたあと新築が建った。越してきた現住のご家庭とは、何故か挨拶することもないほど、関わりがなかった。
 一度うちの洗濯物が風で飛ばされ、もこもこの靴下を片方、小学生のお嬢さんが拾って届けてくれたことがあった。礼儀正しく、大人しい。通勤時に見かける弟の方も、言葉は交わさないが会釈するなど、感じの悪い子どもではなかった。
 子どものいる家庭とは思えないほど、子どもの声のしない家だった。なのにこの泣き声は…?
 女の絶叫は続いていた。実際、いつがスタートだったのかわからない。録画を観ながらストレッチしていた部屋は、私の寝室の対極にあり、隣家から離れている。入浴していた時は窓を閉め切っていたし、換気扇を回していたせいか、声には気付かなかった。
 それにしても三十分以上叫び続けている。こんな深夜に凄い体力だ。このハイテンションを維持出来ているパワーに感心する。一方で、こんな深夜に延々と大声を上げ続けている人がいることを異常だとも感じた。〝丑三つ時〟だぞ…。
 家の中のことは何処もわからないが、声が漏れ聞こえてくる時点で他者は関係ないと言えるだろうか。少なくとも私は、恐怖心を抱き、眠りを妨げられている。巻き込まれているとは言えないか?
 連日、新聞やニュースで目にする、〝虐待〟という言葉が頭に過る。
 いつまでも声が止まないので、自室と浴室を行ったり来たりする。時折、隣家のシャッターが閉まっていない方の窓から、電灯が付いたり消えたりするのが見えた。夫婦喧嘩なら放っておこうと思うが、子どもの泣き声が続いている時点で落ち着かない。三時まで待って収まらなければ、警察に電話しようと決めた。
 こういう時、電話するのはどっちなのだろう。110番?それとも地元の警察?迷った末、地元警察署にダイヤルすると、すぐに男性の声で応答があった。
 事情を説明し、住所を知らせる。地元の警察のはずなのに、自宅の前にある公共施設の場所すら理解してもらえない。警察の人って、こんなに土地勘が無いのだろうか?
 詳細を聞きたいから自宅のベルを鳴らして良いかと聞かれるが、丁重にお断りした。うちは父母、犬ともに夢の中。父は未だしも、少なくとも母に関しては、早朝から家事の一切を熟したあと、仕事に出掛けるので、安眠を妨げるのはご法度である。
 警察署から我が家までは車で5分とかからない距離。しかし外でバイクの音がしたのは30分後であった。新聞配達のバイクが走り始めるにはまだ少し早い。絶叫は続き、私は相変わらず眠れなかったため、やっと来たかと階段を駆け下りる。ミニバイクの警官が二人、エンジンを切ったバイクを押しながら、該当の家の前を通り過ぎ、全く見当違いの方向へ向かっている。どこ行くねん?と思いながら、追いかけて声を掛けた。
 後のことは任せ、自宅に逃げ帰り、鍵を閉めてベッドに入る。絶叫が続く中、暫くして隣のインターホンが鳴る。なかなか出て来ないらしく、二度三度音が繰り返された後、微かに話し声が聞こえてくる。夜半であることを気遣ったトーン。ぼそぼそと何を言っているのかはわからない。しかし返される声は気遣いとは無縁。警察相手に絶叫している。
 その後どうなったのかはわからない。夜中でも気にせず、外でも絶叫するくらいだから、中に入って話し合いが成されたのかも知れなかった。
 警察に自宅の電話番号を聞かれて知らせてはいたが、報告を求めてはいなかった。唯、警察が帰ったらしい後も絶叫は続き、翌朝、中学生になったばかりの娘さんが登校していく後ろ姿だけを目にした。
 何があった?
 大丈夫だった?
 寝てないのでは…?
 お付き合いのない隣人には、出来ないことの方が多過ぎるが、寝ずの出勤になったのはこちらも同じ。まぁ当事者には関係ないことなのかも知れないが…。

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