占いに行った
自業自得とはいえ、生きている心地なく常時緊張状態でいるせいか、食欲が落ち、胃腸の具合を悪くしたまま十日が過ぎた。問題は解決せず、唯ひたすら悪い方へ向かっている。無自覚にのんべんだらりと過ごしていたツケが、一気に跳ね返ってきた感じ。終わりの見えない真っ暗闇と、夜中の寝室の真っ暗闇が被って、変な時間に何度も目が覚める。これ以上続くと病気になりそうだ。
それでも自分の組んだ予定のために、外へは出かけて行く。キャンセルして家にじっとしていたりしたら、余計に気が滅入りそうだからだが、出かけて行ったからと言って問題が消えるわけではなく、出かけて行った意味などないくらいに、明日何が起こるかと恐怖ばかりが目の前にちらついて全く集中できない。完全に、人生の貴重な時間を無駄にしている。
出先に小さな占いの館があって、前々から気にはなっていた。将来のこと、仕事のこと、恋愛や結婚のこと…一般的な女性みたいにそれなりに悩みはあって、診てもらいたい気持ちがないわけではない。むしろ大有りだ。
しかしここ数年の悩みといえば、仕事のこと一択に尽きる。天職と信じた仕事の将来性に悩んで見切りをつけ、一生身を置ける仕事を求めて転職活動を始めたは良いが、コロナ不況と見事に被って、一年引き籠った。過去にないほど沢山の求人に応募し、自分を偽ってどう考えても向いているとは思えない職種にまで、手を出そうとした。しかし箸にも棒にも引っかからなかった。
今年、思わぬところで拾われ、短期の有期雇用で働き始めたものの、無知と無自覚と認識不足から大きなミスを犯し、全うできそうにない。明らかに自分の名を傷付ける事態だと認識してから、何度目かの暗闇に、私は吸い込まれそうになっている。
恋愛や結婚に見切りをつけたのは、年齢的なものが大きいが、自分自身の見込みのなさをはっきりと自覚したからだ。もう良いんでないか…そう思った。
執着から手を放した途端、とっても楽になった。今後は、自分の足でしっかり立って生きていくことだけを考えよう…そう思った途端、仕事の縁が途絶えて慌てたのだった。
拾われたところで全うできないと判断したが、では再び、私がどこかで拾われる可能性があるのか、もしくは少しでも好きで、興味があって、自分がしたいと思って秘めている数々の願望が、自分の足でしっかり立って生きていくことに繋がる道はあるのか、そればかりが心配だった。ひとえに、就職氷河期の真っ只中で社会に放り出され、不安定な仕事を転々とする中で、何度か無職を経験し、不本意な再就職を繰り返した結果、トラウマが根を張ったせいだろうと思う。
必要な用事を幾つか済ませ、何度か館の前を素通りする。後は電車に乗って帰るだけ…というところまで来て、中に入った。千百円で見てもらえる1テーマ占いを選択したのは、占いなどという不確かなものにお金を払うほど豊かではないという理由に加え、知りたかったのが仕事の1テーマに限るということ、そして、千百円くらいなら当たろうと当たるまいと、それほど後悔しないかも知れないと自らを納得させたからだ。
私より少し年上らしい無個性な占い師は、名前と生年月日に纏わる情報をipadに入力し、ホロスコープのようなものを表示させた。
「すごく優しい人ですね」
穏やかな口調で言われ、涙が出そうになる。
「いやいやいや…」と首を振る。滅多に言われないことだからだという理由もあるが、“優しい”が何なのか、私にはもうわからなくなっているのだ。
加えて手相を診る。手相はずっと気になっていたジャンルであり、本なども読んだことはあるが、私の手相は本に書かれてあるものに該当する事柄が殆どないため、ちゃんと見てもらいたいとずっと思っていた。
会話から情報を奪われないように…と気を張っていたのは、唯の悩み相談になっては占いの意味がないと思ったからだ。仕事に関する具体的な話はせず、唯不安ばかりがあることを伝える。ホロスコープと手相の内容について話を聞きながら、占い師はタロットカードを組み、並べていった。
途中、1テーマ占いの持ち時間終了を告げるスマホのアラームが鳴る。解除できずに四苦八苦しながら占い師は占いを続けるので、延長してもらうよう申し出た。疑り深いせいで、商法かと思ったが、そんな雰囲気を微塵も見せずに格闘していたアラームを、止めた後も占いを続けるので、延長に不満は持たなかった。以後、アラームは設定されなかった。
結果、悪いことは殆ど言われなかった。
●上司との相性が悪く、苦手意識が強い。しかし上手に利用すれば良い。
●押さえつけられることが苦手で、認められたいという感情が強い。
●人の影響を受けやすく、仲間や友人に支えられると、心地よい環境で過ごせる。
…などが、当たっているが悪い程度で、現在の状況として、仕事運も金運も、家庭運まで良いとされた。
心配していた仕事運は、自分から辞めるようなことにはならないので、気にせず続ければ良いのでは…と言われる。いずれにせよ契約満了が迫っていると言うと、変わったとしても、それでお金は入って来るので心配する必要はないらしい。
福祉関係の仕事が向いていると言われ、俄かにぞっとする。私が身を置いてきたのは、福祉や教育関係だ。疲れ果ててしまったので、以後、そちらのジャンルから身を引きたいというのが本音。内心唸ってしまった。
確かに、どの占い本を見ても、今年の金運、私は良いのである。仕事を失くそうとしているのにおかしな話だ。やはり占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦…か。
驚いたのは別のことであった。診てもらう予定ではなかった家庭運が、今、上昇気流らしい。タロットに示された裸の男性を取り巻くように、カラーのような花、真っ赤なバラの花束、結婚指輪のカードが並ぶ。ひとつ空けて子どものカードがあったせいで、
「子どもはちょっと難しいかも知れないけど…」という診断が下る。子ども…年齢的に難しいと、私も思う。
「すごい素敵な人。花束持ってくるような人ね」
言われて引っ繰り返りそうになった。そんな人、何処におんねん?笑いそうになる。
両手の側面を見せるように言われる。
「一度、ご結婚されていますか?」
大外れだ。
「あぁ…逃しちゃったのね」
あっさり言われ、心当たりがあるような無いような、おかしな気分になった。両手共にばっちり三本の結婚線が刻まれている私の手相は、願望だけでそうなっているのだと思っていた。縁らしき縁があったとは思えないが、上手くいっていればもしかして…と思ったことがないわけではない。
結婚を、四十代後半まで諦める必要はない。そう言われて顔は綻ぶが、期待はしない。四十代後半の花嫁。人によるだろうが、自分に当てはめてみると何の可愛げもない。それでも縁は皆無と言われるよりずっと気分が良い。私に花束を持って現れるような王子を、寝ている時の夢の中だけでも見られるのは愉快である。
他、試練があっても乗り越えられる…とか、新しい扉が用意されている…とか、一旦物事がリセットしても、もっと良いものが訪れる…とかなんとか、良いことばかりで、何がどう良かったのか記憶に残らないほどである。
そして、最後に言われた一言が、一番身に染みた。
「嫌やったこと、しんどかったことは、忘れはっても良いん違いますかね」
現状に一番当てはまる助言。そうか…良いのか。忘れても…。
簡単ではないけれど、そうして前を向けるような方法を探しても許される時が来ると信じたい。
占い…ハマりたくはないけれど、本当に困ったときは、ほんの少し助けを借りるつもりで訪れても良いのではないかと思った。
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