追憶連想曲
朝が苦手だ。日々の生活に慣れれば慣れるほど、起きる時間が遅くなる。
目覚めると、先ず正面の壁に掛かった茶色い時計を見上げる。
まだ二十分はいける。再び布団に潜り込む。
暫くしてまた見上げる。あと十分大丈夫だ。
そして三度目。気付いた時には五分過ぎている。ヤバい!
布団から飛び出し、走り回ることになる。
二度寝で這い出す時もある。十分間、余裕のある朝。
しかしそんなものはすぐになくなる。
余裕があるという、気持ちの余裕…。ゆっくりしているうちに、慌てふためくいつもの朝と変わらない時刻に、いつの間にか達している。余裕があるという、気持ちの余裕に甘えるばかり、出勤準備の狭間で人に話しかけてみたり、〝よしよしタイム〟を求め訴える、愛犬の相手にかまけてしまう。
『いつもより早く起きたから大丈夫』
全然大丈夫ではない。いつもが忙し過ぎるのだ。
玄関を飛び出し、バイクに飛び乗る。
慌てれば慌てるほど、何故か邪魔が入る。
挨拶の延長で、ご近所さんに話しかけられる。ご近所さんの犬が寄って来る。無視出来ないから、尚更慌てる。
信号が直前で赤に変わる。踏切が閉まる。
『この踏切…この時間に閉まると長いんだ…』
いらいらイライラ…苛々が募る。カバンに付けたデジタル時計の数字を睨むが、数字は進んでも、決して戻らない。
所長が提唱する〝十五分前出勤〟が頗るプレッシャーだ。何のためなのかわからない十五分。朝礼前の掃除のためか。その割に、誰も掃除に出て来ないのは何故なのか。朝礼後の掃除にも…。一体どれだけ掃除するのか知らないが、金にならない十五分の強要が、とんでもなくストレスである。
十五分前出勤などしなくても、私は毎日掃除に出る。他の誰もが出て来なくても…。求められるものが結果ではなく姿勢だというのなら、私の十五分を返せと叫びたい。
転職してから、めっきり帽子というものを被らなくなった。専らヘルメットだ。
外遊び時の日除けには必須であった、UVカット使用の鍔広帽に代わり、毎日被るのは通勤に必須のバイク用ヘルメット。
今の職場で外に出ることは義務ではない。
首の後ろが焼けて爛れなくなったのは良いが、時々太陽が恋しくなる。薄暗い事務所のデスクに座って、パソコンに向かい合っていると、不意にずらした視線の先が、別世界のように眩しい。真夏でも、空調の効いた室内で、汗をかかずに仕事が出来るのは幸せなことだが、去年まで私の夏は、あの光の中に在ったのだと思うと、まるで嘘のようである。
子どもの頃、帽子といえば麦わら帽子だった。何故か夏は麦わら帽。今考えれば、日除け対策だとわかるのだけれど、子どもの私に、夏場、麦わら帽子を被る理由はわからなかった。
ある時、母に連れられて帽子を買いに行った。去年まで被っていたのは鍔先が朽ちてボロが出ている。サイズもちょっと小さくなった。
『むぎわらぼうしじゃなくてもいいのにな…。ずっとそうやし、もう飽きた。』
私は思っていた。何故麦わらなのだろう…とも。
幾つか帽子を試着する。白い布の帽子、いつもの麦わら帽子、色々被ってみる。
『帽子やったら何でも良いみたい』
目線の先に素敵な帽子が飾ってあるのが見えた。
薄いピンクで透けのある素材。共布の大きなリボンが付いている。すごくかわいい!
「あれがいい!」
ピンクの帽子を指差す。
店の奥さんが飾ってあった帽子を外し、母に手渡した。
母が私の頭に被せるが、すぐに取ってしまった。
値段を見て片肘を付く。
「やっぱり麦わら帽子が良いわ。これじゃ、日除けになれへん。生地もあかん。頭蒸れるだけや」
えーーーーーっ!
「じゃあそっちの白いのにする。それもリボンついてるもん!」
乙女はリボンが好きである。私は正真正銘の乙女だ。だからズボンだって穿かない。乙女は可愛いものに囲まれ、可愛いものに包まれているべきだ。だから私はスカートしか穿かないのだ。
「あかんあかん。やっぱり帽子は麦わら帽や。ちゃんと日除けになるし、風通しも良い。その為に買いに来たんやから…。」
母は「これください」と、黄色い小花が付いた麦わら帽子を店員に渡した。
あ~あ…。
いっつもこうだ。こちらの希望を聞いては期待させるのに、結局自分が気に入ったものを買ってしまう。私が本当に欲しい物を、一度だって買ってくれたことはない。
にこやかに挨拶を交わし、店を出ようとする母。
不貞腐れた私を見て、店の奥さんは微笑んで言った。
「夏は麦わら帽子が一番涼しいからね。良いの選んでもらって良かったね」
むかっ!
『全然うれしくない!むぎわらぼうしなんかきらいや!』
私はものも言わず、不貞腐れたまま、母について店を出た。
小さい頃、ずっと思っていた。
『うちのパパってスヌーピーに似てる!』
何故スヌーピーか?うちには抱きつける大きさの、スヌーピーのぬいぐるみがいた…からではない。いや、ぬいぐるみはいたのだが、いたから似ていたわけではない。似ているのは頭である。
スヌーピーの頭は白い。そして左右に垂れ下がった耳は黒いのである。
父の頭は黒いが、髪型はまるでスヌーピーだ。スヌーピーの耳ほど大きくないが、父の顔の左右には、スヌーピーの耳を思わせる髪がある。
大人になって気付く。父は髪が薄かったのだ。頭頂部の薄いところを隠すため、サイドの髪を伸ばして薄い部分に被せ、ハゲを隠していたのだと…。
『嗚呼、うちのパパはハゲだったのか…』
母が言っていた。
「修が小さい時、訊かれたことがあるねん。〝ぼくもおとなになったらパパみたいにはげるんかなぁ〟って…」
修とは私の弟である。かわいい一人息子の切実な言葉に、母は涙ぐみそうになったらしい。
「何て答えたん?」
私は口元がにやつくのを止められない。子どもが親を見て不安になるなど、理由が何であれ面白いではないか。
母は言う。
「あんたの髪質はママ似やから大丈夫。じいちゃんもおいちゃん(叔父…つまり母の弟)も、ちゃんと髪の毛あるやろ?ママの家系は禿げずに白髪になる家系やから、そんなことは心配せんでよろしい!って言った」
確かに…。弟は髪質に限らず、姿形どれをとっても母似である。では私はと言えば、輪郭を除いて他は全て父似だ。勿論〝いわくつき〟の髪質も…である。それってヤバくない?
「まぁ、あんたは女やから大丈夫やろ」
母はカラカラと笑った。
俄かに不安になって行く。
保育士時代、髪は薄いがとてもカッコ良い保護者がいた。
ひょろっと細長く、ちょっと無精ひげ。自然体だが寡黙でクール。しかしちゃんと子どもの世話をする、良いお父さんだ。髪は薄い。確実に…。吹けばなびく量はごく僅か。しかし決してハゲを隠していなかった。うちの父のようには…。
『嗚呼、ハゲって…隠さなければカッコ良いのかもね』
まぁ…それは人によるかも知れないが、とにかくその人は特別ハンサムでもないのに、とてもカッコ良かったのである。
父が開き直ったのは六十を迎える手前だったように思う。
ある日突然、坊主になって帰って来た。
必死で隠していた頭頂部の髪が無い。ついで両サイドにあった〝スヌーピーの耳〟も無くなっていた。
「頭…どないしたん?」
父は言った。
「なんか段々、めんどくさなって来たんや…」
随分思い切ったものである。二十年以上こだわり続けていた髪を、すっかり捨てたのだ。心の中で拍手!
しかし私は思った。潔さとカッコ良さは、必ずしも連動しないのだと…。ハゲは隠さなければカッコ良いというのは思い込みで、結局は人によるのである。
正直、髪が無くなった父は、すっかり〝おじいさん〟であった。一気に老け込み、御年六十を迎えようとしているとはいえ、あまりの見た目高齢化である。見方によっては我が祖父よりも〝おじいさん〟。元々人に自慢出来るような、見てくれの良い親父ではなかったが、この老け方にはショックを隠せなかった。
ハゲにも色々と苦労があるようだ。
髪を捨てた父は、代わりに帽子を愛用するようになった。
帽子を被るのは、何もハゲを隠したいからではない。その辺は坊主にした時点で、すっかり吹っ切れたようである。
帽子が必要な理由は、ちゃんと別のところにあった。
髪を捨てたのは極寒の二月。冬、北風は髪の無い頭に厳しい。
それはそうであろう。剥き出しの皮膚に冷たいのは風ばかりではない。冬になれば殆どの人間は、全身の皮膚という皮膚を外気から隠そうとする。父は季節を間違えたのかも知れない。
こうして冬、父はニット帽を頭から外せなくなった。
外へ出かける時だけでなく、家の中でも被っている。下手をすれば寝ている時でさえも…。
普通の人でも、真冬で屋外であろうと顔は表に出ているのだから、せめて家の中、せめて寝るときぐらい帽子を脱げば良いのに…と思う。しかし本人は被っていないと寒いらしい。
少なかったとはいえ、髪のパワー、恐るべし。
そして夏。流石にニットは被らないが、やはり帽子は手放せない様子。今度は直射日光を浴びて、頭皮が焼けるらしい。
髪が無いというのも厄介なものだ。
父は時々、帽子を手洗いしている。特に夏は汗をかくので、染みによる変色が気になるようだ。
しかし、普段から家事など一切やらない人間である。勿論、洗濯もしない。それでも帽子は、〝思い立ったら手洗い〟するのである。
何故かというと、夜遅く帰って来ても、翌日それを被って出掛けて行かなければならないからだ。匂いや汗染みは気になるが、翌朝にはそれを被って出掛けたい。女たちが洗濯機を回すのは大抵朝で、それを待っていては夏であろうと乾かないので、夜中に自ら手洗いし、洗ったその足でベランダに干すのである。
しかし流石に家事一切をやらないだけあって、手洗いした帽子は脱水もされていない。型崩れを恐れて絞りもしないのであろう。滴り落ちる水滴で、ベランダは水浸し。真夏とはいえ、翌朝になっても、ぼとぼとの帽子はぼとぼとのままである。
意味が無いだけでなく、いい迷惑だ。
あぁ…今日も暑い。暑いといつまでも寝ていられないが、エアコンが効いていれば寝ていられる。しかし寝ていてはいけない。まだ十分はいけるが、そろそろ起きなければ…。
最近暑すぎて、朝のラジオ体操が出来なくなった。パソコンが仕事の相棒になってから、持病の肩こりが益々酷くなり、頭痛まで併発するので、NHKの【みんなの体操】を録画して始めたのだが、出勤前に汗だくになる。夏は無理だ、諦めよう。その分、十分寝ていられる…っとヤバい!
布団から飛び出し、走り出す。
玄関を飛び出し、バイクに飛び乗る。
慌てれば慌てるほど、何故か邪魔が入るが、今日は誰にも会わなかった。ご近所さんの犬も寄って来ない。
それ行け、今のうちだ!
信号が直前で赤に変わる。踏切が閉まる。
『踏切…あ、今日はいつもよりまだ時間が早い。すぐ開きそうだ。
大丈夫、大丈夫。今日はまだ間に合う…』
カバンに付けたデジタル時計の数字を見る。いつもより五分早い。
踏切の向こうに目を向ける。反対側にも人が多い。連続する車からリードを取るように、バイクに自転車にとひしめき合っている。
『あれ…?』
一番前の自転車…前かごに犬が乗っている。柴犬だろうか。こんな炎天下に暑そう…って、頭の上に何か乗ってるぞ?何だあれ?
自転車のオジサンが、その前かごに乗った犬を見ながらドヤ顔をしている。傍の人が気付いて何か話しかけた。オジサン…何だか嬉しそう。
自転車の前かごに乗った柴犬は、その毛色にも似た、茶色い麦わら帽子を被っていた。鍔の横には大きなひまわりの花が付いている。
柴は『あつい、あつい』と舌を出し、息を荒げているが、その表情は明るい。
帽子を被っている犬というのを、初めて見た。服を着ている犬はよく見かけるが、帽子って、犬用もあるのか…?しかも麦わら帽子。あんなでっかい花まで付いて、か、かわいすぎる!
因みに自転車のオジサンも、頭に麦わら帽子。お、おそろいや!流石にひまわりは付いていなかったが、ドヤ顔するのもわかる気がした。
その夏、麦わらオジサンとひまわりの犬を何度か見かけた。
オジサンはかわいすぎる犬を自慢するかのように、いつもドヤ顔をしている。柴犬は毎回、きちんとひまわりの付いた帽子を被り、自転車の前かごに乗っかっていた。炎天下の朝っぱらから、何処へ行くのか知らないが、季節が変わると麦わらペアは見かけなくなった。
案外その辺を自転車ではなく、普通に散歩しているのかも知れないが、自転車の前かごにも乗っていないし、帽子も被っていないので見つからない。
踏切の傍には公園があって、犬の散歩をしている人が意外と多い。朝の数分で見つけようと思う方が間違いなのである。
この年度末に、私は仕事を辞めた。
所長が提唱する〝十五分前出勤〟が頗るプレッシャーだったから…ではない。まぁそれも理由の一つとだと言えなくもないのだが、パソコンが嫌で外に出たかったらでもなかった。
仕事を辞めてから、朝、バタバタと自宅を飛び出すこともなくなったが、何かを発見してほくそ笑むこともなくなった。
帽子を被ることもヘルメットを被ることも、今はない。
ただ、夏が近付くと、少し気になって来る。
あのオジサンとひまわりの犬、今も元気かな…。
それだけは時々、思い出して、ちょっと会いたくなったりするのである。