呼び方問題

 皮膚科に通ってもう十年近くになる。
 子どもの頃から肌は弱かったが、大人になるにつれ、病院通いするほどではなくなった。手荒れや乾燥など、弱いには弱いのだろうが、市販薬で間に合わせられる程度には回復している。
 皮膚科に通うようになったのは、ある日突発した蕁麻疹が治らなくなったからである。連日腕や脛が腫れ上がる。かゆみも我慢できない。蕁麻疹の知識も自覚もなく、病院嫌いなので、何とか自己解決を図るが、悪化の一途を辿るばかり…。泣く泣く電話帳を調べ、土日診療のある病院にかかるようになった。
 一日二回飲んでいた抗アレルギー剤は、一日半錠で何とか済むようになったが、効き目があるのかないのかわからないような少量であっても、止めると症状が出る。一生治らないのではないかと悲しくなる。
 原因の特定は難しいが、当時、極度にストレスのかかるトラブルに遭い、恐らくそれが引き金になったのであろうと予想がつく。その根本から離れて随分経つが、離れたからといって、慢性化してしまったものがすっきり消えてなくなることはないのだろう。突発した後も、なぜこんな大変なことが自分の体に起きているのか、その理由や原因を即座に理解したわけではなかった。腫れと痒みから逃れるための情報収集に駆けずり回って初めて、ストレスから蕁麻疹を発症することを知ったのだ。
 薬の量は減っているので、通院するのは三ヶ月に一回程度。駅の隣に建つ、個人医院ばかりが入ったビルの中にあるので、駐車場が設営されていない。近隣のコインパーキングを利用するしかないので、大方バイクで来ることにしていた。
 実際、駐輪場もないのだが、ビルの入口にずらりと駐輪していても、誰も文句を言えない。患者すべてが公共交通機関を使って通っているわけではないからだろう。
 とはいえ、ビルの出入り口へ集中するように頭を集めている自転車やバイクは、通行の妨げになる。いくらか苦情がきたのだろうか、ある頃からシルバー人材センターから派遣されたような年配男性が、駐輪管理に立つようになった。
 いつものようにビルの入口を向いて、駐輪スペースを探していると、派手な色のウィンドブレイカーを着たオヤジに「お母さん」と呼び留められた。ビルの隣にある不動産屋の入り口前まで誘導される。不動産屋は休業していたが、開業中であってもそこの駐輪スペースに停めるように言われた。
 誘導も説明も丁寧だったので嫌な気はしなかったのだが、たったひとつの激しい違和感に悶々とする。「お母さん」って誰やねん。
 シルバー世代のお母さんなわけがないし、誰かのお母さんになったこともない。確かに世間一般的には「お母さん」と呼ばれてもおかしくない年齢だが、子どもを連れているわけでもないのに「お母さん」って…。
 
 別の日、出勤のため常用している駐輪場にバイクで乗り入れ、遅刻ギリギリで慌てて駆け出した背後から「奥さん!」と呼び止められた。
 定期利用なので料金を支払う必要はない。入庫した時点で入口の係員とは挨拶を交わしている。奥で車両整理をしている係員にも毎日挨拶するが、今日は入口で二人共が一人の客を相手に対応していたため、挨拶は一括で済ませていた。
 何か落として呼び止められたのかと思い、急ブレーキで振り返ると、駐輪場のオヤジが入口から叫んだ。
「バイク?自転車?」
『はっ?』
 たった今、バイク押しながらあなたの目の前を通り、挨拶、交わしましたよね?
 狭い入口に三人も男の人が立って道を塞いでいるので、ものすっごく通りにくかったんですけど!要ります?客一人に係員二人。揉めてる感じでもなかったけど、何かありましたか?
 イラッ!ムッ!電車、もう来とるやないかーーーいっ!遅刻じゃボケーー―っ!
と叫びそうになるのを抑えつつ、叫び返す。
「バイクです!定期の!」
『巡回してるんやから、定期のシール、貼ってるかどうか見たらわかるやろーーーっ!』心の中で絶叫して再び走り出すが、電車は行ってしまった。
 遅刻ギリギリなのは私のせいだが、客の確認を怠ったのはそっちだ。それに私は「奥さん」ではないし「奥さん」だったこともない!
 
 子どもの頃、友達や近所の子どものお母さんは「おばちゃん」だった。お父さんは「おじちゃん」とか「おっちゃん」。祖父母は「おじいちゃん」や「おばあちゃん」だ。そして、見ず知らずの他人でも、その年齢層から「おっちゃん」「おばちゃん」「おじいさん」「おばあさん」と普通に呼んでいた。子どもだったので、他所の誰かを「お母さん」とか「奥さん」なんて呼ぶことはなかったが、私のように独身子なしなのに、そのように呼ばれて嫌な気分になった人もいたのではないか…。それとも当時は今ほど晩婚化していなかったし、出産していない人が溢れていたわけでは無かったので、呼び名による違和感は蔓延していなかったのだろうか…。
 私は今年伯母になったが、姪っ子に「おばちゃん」と呼ばせる気はない。たとえ見た目が「おばちゃん」であっても…だ。
 今後、誰かの「奥さん」になることも「お母さん」になることも、更に「おばあちゃん」になる確率も限りなく低いため、赤の他人にそのように呼ばれることは断固拒否したい。私に呼び掛けているのだと気付いたとしても、徹底的に無視しようと思っている。
 不意に振り向いてしまうのは自己責任だが、ムッとしてやっても良いのではないかと思う。私、あなたに「奥さん」なんて呼ばれる筋合いないわ!あなたの「お母さん」でもないし、「おばあちゃん」でもない。やめてくださる?気持ち悪いっ。てな具合に…。
 嘗ては「おねえちゃん」と呼ばれることが多かったが、それがすっかりなくなったということは、すっかり見た目が「おねえちゃん」ではなくなった証拠だろう。
 しかしテレビなんかを見ていると、街頭インタビューで「おねえちゃん」には見えないくらい年配の方に対して、「おねえさん」と声を掛けているのをよく目にする。失礼のないように…という心遣いなのだろうが、インタビュアーが、自らの年齢より年上の方に対して「おねえさん」と呼ぶのは間違っていない気もする。若くてきれいな〝おねえさん〟に対してそのように呼ぶのも勿論違和感はないが、彼らの母親世代に対する「おねえさん」も、それはそれで悪い気はしない。
 そう考えると、見知らぬ相手に対し、「おばさん」なんて呼ぶのはやはり失礼なのではないかと感じる。「お母さん」も同じで、たとえ子どもを連れていても、相手が若ければ「お母さん」なんてあまり呼ばない。
 私は若く見えないから「お母さん」とか「奥さん」なんて呼ばれたのだろうが、呼んだ相手が私の父親世代か、さもなくば祖父世代なのだ。ムッとしても悪くないよね?
 私をおばさん扱いして良いのは私だけで、「お母さん」や「奥さん」や「おばさん」と呼ばれても、はいはいっと受け流せるくらい心が成長するまでは、やはりムッと来るので聞こえないふりをしようと思っている。
 世の中の皆さん。呼び方に対して無視する〝おばさん〟がいたとしたら、それは私かも知れません。

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