8月11日
丸一ヶ月書かずにいたのだと、今初めて知った。書かなかった理由をここに記すのは止めにする。受け入れられないこと、受け入れ切れないこと、受け容れたくないことがずっと心の中に鎮座している。ようやくこのフォルダを開く気になったのは、何度目かの振出しに戻ったせいだ。
先ず、オンライン面接から二次面接に臨んだ遠方の求人は、見事に撃沈した。想定外のことが多過ぎて、プラスマイナス0になるのだとしたら合格もあり得るのではないかと錯覚したが、ご丁寧に成績付きで送られて来た合否結果のメールを見て笑うしかなかった。14名中11位で、下から数えた方が早い。面接の点数は平均点より20点も下回っていた。
先月末、失業給付が降りる最後の認定日に、鬱々とした気持ちでハローワークへ赴いた。指定日に出向くのは最後になる。ある意味、重荷を下ろす気分だったが、一方で、二度通った近隣の神社へは事情があって立ち寄らなかった。仕事は見つからず、神頼みも許されず、収入も0になる。
窓口で書類を提出する。死にそうな顔をしていたんじゃないか…。何の希望も無かった。
一件でも内定を得たか…と訊かれる。答えはノー。
今後も求職活動を続けるかと訊かれる。勿論だと答えた。
カウンターに貼られた表示を指され、手早く説明され、思わず声を上げて泣きそうになった。コロナの影響で救済措置が取られ、失業給付が60日伸びたのだった。
手続きにはいつもより少し時間を要した。私より後に来た人が二人ほど飛び越して行った後、28日分給付され、残り45日の猶予があることを説明された。
帰る前に寄ったトイレで溢れる涙を止められなかった。赤い目をしたまま車に乗り込み、更に号泣しながら帰った。国の救済措置だが、私を助けたのが国だとは思えなかった。私は何も返せていない。折角もらった猶予は、私がちゃんと適職に就くためのチャンスなのだと感じた。
ちゃんと恩返しがしたい。残り45日でちゃんと目途を立てたい。4ヶ月間何ひとつ形にならなかったことを思えば、残り45日で何とかなるとは到底考えられない。しかしこのひと月で、私の生活は180度変わってしまった。120日で変わらなかったことでも、31日で変わってしまうことがあるのだと知った。45日を大切にしなければならない。
認定カウンターに行く前、検索を掛けた後、一件求人に応募した。二日ほど前に見つけた地元の事務職だ。良くはないが悪くも無い。無視すれば後悔すると思ったから応募を決めたのだった。
例の如く書類選考からのスタート。そこでアウトならいつも通りで、やはり自分の場所では無いと思えるような会社。私の生きる場所としては明らかに畑違いなのだ。土日を挟んだ週明け、応募先から電話があり、翌日面接になった。
電話の相手は明らかに老齢で、正直心配した。面接相手も恐らく同じ人物。よぼよぼ過ぎて更に心配になった。
働き易そうな会社であった。友好的で、融通も利く感じがする。決してブラックではないと感じた。採用意欲が高く、こちらを品定めするような面接ではなかった。仕事内容や会社のことを熱心に説明される。時間は一時間半にも及んだ。挙句、「どうですか?」と訊ねられた。今思えば、「頑張れます。是非働かせて下さい!」と熱意を持って答えるべきだったのだろう。しかしそれが出来なかった。自分の仕事だとは到底思えなかったのだ。
火曜日に面接を受け、他にも二・三人面接すると言っていた。
「ハローワークには全員面接してくれって言われててね…。金曜には結果を連絡します」
老人の微笑みから、残りは惰性で、私を採用するのだと言われているように感じた。
金曜日は一日中胃が痛かった。ストレス性の胃痛であることはわかったが、お腹を壊すような状態は初めてだった。理由自体がおかしい。
『採用されたらどうしよう…』ずっとそう心配していたのだ。
結局、連絡は来ず、三連休を経て応募書類が返戻されるのであろうと感じた。そして今日、予想通りになった。落ち込んだが、何処かでホッとしている。私の職場ではなかったのだ。
ここ数日、前職の学校の夢ばかり見る。もう二度と戻ることのない職場であり、一生を自分の足で立って生きて行くには経済的に成り立つことのない仕事だ。いくら愛してやまず、自身の適職だと心から思えても、それが現実なのである。
不思議に思っていたら、午後に宅配便が届いた。学校の親睦会からであった。寄せ書きと、お菓子と、ソープフラワー。
コロナの関係で、毎年ゴールデンウィーク前に行われる歓送迎会は、無期延期になっていた。はなから参加する気が無かったのは、送るのは勿論、送られるのはもっと苦手だからだ。目途が立たず、贈答品に代わったのだろう。
「仕事が決まったら、一度ご挨拶に伺います」
本心から言った言葉を、未だ、実現出来ていない。
予期せず貰ったチャンス。未だ一ヶ月ある…というべきか、もう一ヶ月しかない…というべきか、正直判断が付かない。無駄にだけはしたくない。慌てて臨んでも、自分の仕事ではないと気付けただけ進歩と捉えるなら、私は足踏みだけしているのではないと思う。
明後日から世間はお盆。明日はお迎えのために、仕事を忘れて私は働く。