ええ年してからアルバイト

 この年になってアルバイトをしなければならなくなるなんて、夢にも思わなかった。しかし、急な不利益変更で勤務時間と給料を一方的に減らされ、生活はカツカツ。仕事量は殆ど減っていないので、残業代のつかない残業を連日している。逼迫していく日常の中、多忙に目を回す。そしてお金もないのにボランティア状態の奉仕をしている理不尽さに、心が追い付かなくなっていた。
 転職したいがまともに探す時間もない。新年度から数ヶ月、職探しに行き詰まり、取り敢えず収入のマイナスを少しでも補おうと、仕事をさせてもらえなくなった夏休みにアルバイトする方向に切り替えた。
 連日探し回る日々。転職に繋がるスキルを少しでも獲得したくて、本当は事務のアルバイトをしようと面接の機会を設けてもらう予定だったのだが、時給や交通費の関係で、先に決まった学童で三週間働くことになった。
 利点は、子どもの声が聞こえる職場であること。心身共に疲弊しており、本職外のフルタイムに適応する自信が持てなかったため、一日六時間で了承してもらった。とはいえこの業界は人手不足らしく、勤務開始日から残業を依頼されたり、勤務時間の変更を打診される。時間が延びると休憩時間が発生するのだと、契約の際に説明を受けていたが、実際の現場では、そのようなルールが守られているわけではなかった。
「休憩なんか取ってる暇ない。誰も取れてないよ」
 業務主任が当たり前のように宣うので、時間変更も残業も丁重にお断りした。
 道楽で勤めるつもりではなかったが、本職以外に生活のため、アルバイトをしなければならない生活を今後二度としたくないと思っていたし、女性ばかりの職場が自分には合わないことを過去の経験ですっかり実感している。採用の際、業務主任は冗談か本心か、わからないようなことを大汗かきながら言ったのだ。
「夏休み終わっても、今の仕事辞めてこっちに来てくれへんかなぁ?」
 まだ始まってもいないのに、何てことを言うのだろう。職務経歴書がそのまま私のスキルだと思ったのかも知れないが、冗談じゃない。こちらに転職すれば、家計は更に逼迫する。それでも大丈夫な立場ではないから、この年でアルバイトなんかする羽目になったのだ。内心全面拒否の姿勢で笑ってごまかす。
 働き始めて、やはり自分には合わないと実感。保育士として働いているときに感じていた、何とも形容しがたい違和感が蘇るのに、時間は必要なかった。
 仕事自体も突っ込みどころ満載。私だったこうするのに…とばかり考える。やはり向いていないのだ。適正って何だろう?
 差別も甚だしかった。資格の有無や契約上の立場は同じであっても、年齢や性格によって、宛がわれる仕事が違う。業務主任は勿論、最高齢のスタッフは、一日エアコンで寒いくらいの部屋にいる。若年層は炎天下の屋外や、熱中症対策でストップ寸前の室温を叩き出す体育館でのドッジボールに駆り出された。
 水遊びは涼を感じられ、楽しくないわけではなかったが、30分毎に交替して室内に戻れるよう、連携を取っているように見えるのに、私は一時間まるまる外で立ちっぱなしにされた。短時間で帰るのだから良いだろう…と思われていたのかも知れないが、誰からもそのような差別について何一つ説明は無かった。三週間なのに文句を言って揉めるのもどうかと思い、終わる日を指折り数えながらひたすら耐える。お陰で足の甲はビーチサンダルの跡がくっきり。リゾートでバカンスだったと自慢も出来ない。
 学童の指導員なので、もっと子どもと関わるのかと思っていたら、周りに立っているだけで監督官のよう。宿題をさせる時間でも、他の指導員のように個々の質問に答えながら本人が解けるようなフォローに努めたが、「自分でさせて!」と怒られた。子どもに直接望まれて勉強を教えていても注意される。新人指導員に対し、確かに甘えは多少あるとしても、思いっきり躓いていて前に進めない子に対し、「自分でせよ」と言ったところで、先に進めないまま時間を持て余している。出来ないのに「しろ」と言われ、時間を持て余しているのを放置することが、彼らの何になるというのか、私にはまるで分らなかった。
『自分でさせてるわ!自分で出来るようにアドバイスしてるんじゃ!』という言葉は、腹の中に収めつつ、極力関わる相手が一部に偏らないよう、大人たちの目を気にしながら巡回し、人影が近付くと、逃げるように移動した。
 遊びの場面でも同じだった。子どもと関わっていたら注意される。一緒に遊んだり、遊びに付き合ってはいけないらしい。あくまで監督せよと言う。私には、刑務所の刑務官になれと言われているように聞こえた。
「もっと子ども全体を見て!」
 そう言うからには、指導員たちが皆そのようにしているのだろうと信じたが、そんなことはまるでない。監督に徹している者も中にはいるが、子どもの輪の中で座り込んで遊んでいる者もいる。不思議だったのが、二人いた大学生のアルバイトは、子どもの輪の中にいようが注意されることなど全くないのである。そして、屋外や体育館で、立っているだけでも汗だくで熱中症になりそうな運動遊びに参加する機会も、何故か免除されているのであった。
 当の業務主任はデスクワークに没頭、他はスタッフ同士で喋っている者もいる。
 資格があるかないかなのか?やたらと指導したがるベテラン達。
『私…一ヶ月で辞めるんですけど?』と思う。手足として思うように使ってやれ!という考えか?職務経歴を無視すれば、単なる短期のアルバイトは古きを敬い、従えということなのか…。やっぱり同業種同一性の職場。いじめだとは思わないが、数々の理不尽や違和感を何と表現するのが適当かは永遠の謎だ。
 唯一人、誰よりも動き回っている人がいた。スタッフ内での年齢は丁度中間くらい。指示も多いが、その分本人が一番動いている。子どもが自らすべきことまで先回りして何もかも指示するので、仕事の仕方に共感は出来なかったが、そうせざるを得なくなるような経験を重ねていたのではないかとも思える。しかし周りは、それを悪用していた。
 アルバイト後半に開催された夏祭りで、唯一屋外のイベントだったスーパーボールすくいに、彼女と二人で駆り出される。準備も片付けも力仕事の重労働。しかも頗る暑い。陽射しこそ陰っていたのが不幸中の幸いであったが、湿気で汗が止まらず、気分が悪くなるほどだった。私たち二人以外は全員エアコン下の室内にいる。もうすぐ辞める私は未だしも、彼女はこれからも仕事を続けるのだ。いつもこんな具合なのかと思ったら、気の毒で仕方なかった。
 口に出しては言わないが、不満を感じているのは伝わってくる。余計なお世話かも知れないが、「なんで先生ばっかり外なんですか?」と思わず聞いてしまった。彼女は苦笑いするだけだったが…。
 最年長のベテランがした失言を、噂のように語った業務主任の言葉を思い出した。
「こんな仕事、エアコンの部屋でおるだけやったら、80になっても90になっても働けるわ!」
 自らの年齢を逆手に取った、完全なる職権乱用。敵を作ることを恐れない、強靭な魂の持ち主だと知った。
 じっと立っている仕事は無理やな…。警備員とか監視員とか…それで頑張ってる人は本当にエライ。
 同性ばかりの職場も、同じ職種の塊も、やはり自分にはそぐわないのだと再確認。これもひとつの人生勉強だったのだと考えれば、決して無駄ではないように思えた。
 雇用の書類も、勤務中の三週間の間には届かなかった。採用書類がないまま勤務を終える。現場と書類を取り扱う部署が違うばかりに、その辺りの疎通がまるで出来ていない。大分杜撰だな…と信用さえなくなる。給料が振り込まれなければ、事務所に乗り込むつもりでいたが、勤務期間を終えて暫くしてから、各種採用書類と給料明細が送られてきた。遅いやろ。
 子どもは無邪気で可愛かった。
 本職では、学童の先生が嫌われているらしいことが、児童の話や露骨な態度から伝わってきたが、アルバイト先に比べるとこちらの指導員の方が児童と密に関わっていたし、人権を考えた対応をしているようにも見えた。アルバイト先のような、キレる大人宛らに吠えている指導員の姿は見たことがない。見えないところではどうか知らないが…。
 転職先を探しているが、学童指導員の道はないと思っている。
 三週間を何とか乗り切れたのは、帰ってすぐ洗濯物を取り入れた後には、ホットケーキを食べる…というルーティーンを一貫したからでもある。甘いものが待っている…という期待が、ストレスを緩和。お陰で3月4月で激減した体重が、利息を付けて舞い戻ったのも現実である。

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