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自然派と無機質なもの
私は自然派のものも好きだし、人工的なものも好き。
それは、食に関してもそうで、手作り無添加の優しさも心から嬉しいし、時々ジャンクフードも美味しいなと思う。
表現もそうで、古の人々が着ていそうな服にも心動かされた時もあるけれど、ハイブランドの無機質な感じも好き。
だから、どちらにも偏りすぎないというのが私の今のところの表現なのかなと思う。
ナチュラルな表現に無機質なシルバーを重ねたり。
天然の染料で染めたものに蛍光の糸もスパイスに施したり。
アートであり商品でもあるし、
商品だけどアートでもありたい。
大切なことは自然であるか無機質であるかではなく、バランスがいいか、偏りすぎていないか。
これが私のニーズなんだってここのところはっきり思える。
なぜこんなニーズが生まれるのか探ってみると。
偏るということは条件が固定されがちなる。
この条件をクリアしたらokという感覚がある。
そうすると、表現は不思議と似たもので溢れてくる。
素材に頼りすぎるとそのラインナップだけで良きものとされる。
そこに心が動かされない。
よくある里山の観光地もそう。
その地名さえ出せばいい、何か保証されてしまう感覚、
手作りの、天然繊維の、天然染料の、、天然の何々で価値が保証される感覚。
そこに本当に吟味された思考を感じないからか。
ちょっとずつ、中庸を求める理由を時間をかけて感じてみよう。