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獲ル者


「君は名ハンターだね」


ポオはイヌのような生き物だ。
ネコのようなイヌのような生き物だ。

「シジュウカラ?コゲラ?」

ぼくは言う。
そう、彼は地を這う者だけでなく、宙を舞う者までも捕えたのだ。
その瞬間を見逃したぼくはいったいどうやって仕留めたのかわからないけれど哀れな小鳥は彼に弄ばれている。

「どうする?まだ生きてるよ?」

取り乱した隣人は言う。
どうするも何も、彼から小鳥を奪ったところでどうなるもんでもないよ、とぼくは思う。
これは「掟」なのだ、セコいサルが手を出すべきではない、とぼくは思うのだ。


ニンゲンは不思議だ。
このような時必ず小鳥を「カワイソウ」だと思う。
去年、アオダイショウにまさに飲まれているシジュウカラのヒナを見た。
「掟」だとわかっていても「カワイソウ」と思ってしまうのだ。
じゃあアオダイショウからヒナを取りあげて助けた場合、アオダイショウは「カワイソウ」ではないのか?

この「カワイソウ」は何処から来るだろう?
弱い者に対する憐れみだろうか?
幼気な者に対する庇護欲だろうか?

じゃあ逆にアオダイショウがシジュウカラにどつかれまくってた場合、アオダイショウを「カワイソウ」と思うのだろうか?

ぼくは個人的に大人しく可愛い目をしたアオダイショウが好きだから、お腹いっぱいになってよかったね、とも思う。
ここに登場してまもなく世界というものを観ようとしていた幼い命が消えてしまうのは悲しい、けれどそれが世界の「掟」で生き者はみなその「掟」に準じて回ってる、人間様以外は。

ぼくは不本意ながらニンゲンとして在るけれど、人間であるぼく自身の気持ちを疑ってしまうことがある。
この気持ちや考えは所詮人間として生きるためのものであり人間を贔屓に優位に観ているのが確実だからだ。

本当はトリとヘビという生き者に優劣などないのだけれど「人間の眼」でみるとそうはいかないのだ。

人間らしい偽善的な考えで「食う者=強者」は「悪」だと感じてしまうからだ。
ゆえに「全てを食い尽くす者=人間」を最強の「悪」だと感じてしまうのだ。

ぼくが権力を持たない弱者ゆえの動物的な「恐怖」なのか?
ぼくが権力を持たない賎民ゆえの人間的な「僻」みなのか?


ポオは埋めている。
前足でサッサカサッサカ効率よく穴を掘り、そこに小鳥を入れる。
そうして器用に鼻を使って土を被せ、鼻を使ってプンプン押し固める。
彼はいつもそうする、「宝物」を隠しておくのだ。

ぼくは彼の「宝物」を掘り出し手にのせる。
奇妙にねじくれ、ぐっしょりと身体に張り付いた羽毛。
とても小さく、とても儚い。
彼はこれを食うことはない、彼にとっては「おもちゃ」なのだ。


人間的なぼくは小鳥を庭から出た離れた場所にそれを埋める。