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中性的ナ者




「『性』とはなんだろう?」


誰かぼくに教えてほしい、人間様の目的を。


有性生殖を行う生物には「性」がある。
より多様な遺伝子を残し、あらゆることに対応できるようにして絶滅を防ぐためのなのかもしれない。

ぼくらは有性生殖を行うタイプの動物で、「性」を持っている。
けれど、人間様はその「性」をさらに複雑化している。

ぼくはミミズを飼っている、彼らは有性生殖者なれど、雌雄同体なので、オス・メスの区別がない。

「ミミズはいいな」

ぼくは思う。
見た目も生き方もシンプルで。
美しいな、と思う。
彼らが互いに絡み合い蠢く姿を見て、人間様は悲鳴をあげる。
どうして?あなたたちの方がよっぽどキミが悪いだろ?
ぼくは思う。
ミミズどもは意志に従い真っ直ぐに生きている。
そうして土を、地球を作っている。
こんな素晴らしい目的が人間様にあるのかい?

人間様が無駄に複雑化してゆく目的はわからない。
ぼくはただ人間が増えすぎたし、ただ「暇」だからだと思うのだけど。



いつの時代も人間様は「性」の話で盛り上がっている。
ぼくからしてみればなんだっていいじゃないか、と思うのだけれど、皆、「自分の性」が気になってしょうがないらしい。

いつの時代も人間様は「恋」の話で盛り上がっている。
ぼくからしてみれば「歪んだ欲望」じゃないか、と思うけれど、皆、暇からかトキメキたくてしょうがないらしい。

いつの時代も人間様は「性交」の話で盛り上がっている。
ぼくからしてみれば身体の使い方を間違っているとしか思えないのだけど、皆、快楽を味わいたくてしょうがないらしい。

「恋」とはナルシズムだ。
相手に投影した自分を愛している。
「もっと私を見て」「もっと私を愛して」。
モット。。。モット。。。
彼らはジャンキーそっくりだ。
ヤツラはピタリとついてはキャーキャー鳴く、お前の愛をくれと。
ヤツラはズカズカやってきては監視している、お前の時間をくれと。
ところが、ある日、「生理的に無理」とか言っては去ってゆく。
レイプか?と言いたくなる。
別に「恋」と呼びたがる性欲は仕方ないが、美化するなと思うだけだ。



「中性的なヒト」が、ぼくは好きだ。

ぼくがいいなと思う者は中性的なヒトが多く、そういうヒトは「強く」見える、独りで立っている、意志が強いのだ、ゆえに「性」を強調して他人に依存する必要がないのかもしれない。

逆に、「性」を強調する人に、ぼくは怯える。
彼らはいつも群れているが何を望んでいるかわからない。
いい歳こいてゲームを楽しんでいるのかもしれない。
誰かと同じものを欲し、誰かの人生を生きているのか。
人間関係を築くうえでぼくは「性的」なものを望んでいないため彼らの意図がわからなく怯えるのだ。

ぼくは「強い関係」を築くのに「性」は邪魔なだけだと思うのだ。

彼らは「性」を強調する、目的は何だろう?
もはや「繁殖」が目的ではないのはぼくでもわかる。
「性欲」「所有欲」「承認欲」「刺激欲」だとぼくは思うのだけれど。

フェミニズムの意図もわからない。
彼女らは声高に男女平等を叫ぶが、「女」を強調する。
「女」を演出する髪型や服装、臭いを纏う。

いつも思うのは痴漢に会うのが嫌ならピチピチの服着ておっぱい丸出しにしなきゃいいのに。。。こんなのは今の時代問題発言だろう。
けれどぼくは彼女らがヤクザより怖いのだ。

ぼくがまだうら若き頃、ぼくの学校は「ギャル」で溢れており、ぼくの友達も「ギャル」だった。
彼女は「軽く見られる」ことによく憤慨していた。
「それならおっぱいを隠した方がいいよ」とぼくは思ったが、言えなかった。なぜ「女」は谷間を見せたがるのか?

職場におっぱいがどでかい女性がいた。
彼女はいつも制服の胸元を開け(おっぱいがデカすぎてきついのか?)、ぼくに寄ってきてはおっぱいをぶつけてきた(当たっているのに気づかないのか?)。
申し訳ないけれど、ぼくは人間に触れるのが非常に不快なため、ものすごく嫌な気持ちになった、こういうのはセクハラと言えないのか?
自分が良ければぼくが不快な気持ちになってもお構いなしなのか?
「女」は自ら肌を露出し、男がそれを見ると「セクハラ」だと曰う。
男に性欲があるかぎり見るのは当たり前だろう(性欲なくてもギョッとして見ちゃうけど)、それを誘うようなことをしといて「ミテル!チカン!」は酷すぎやしないか?



アリス・マンローの事件が物議を醸したらしいね。
彼女の「美しい」作品を今まで通り文学的に価値のある美しいものとしておけるかどうか。
どうしてこんなことで揉めているのかぼくにはわからない。

彼女の夫は、彼女の娘を犯した。
彼女は、娘に嫉妬した。

彼女の世界を好いた人はこれからも彼女を美しいと感じたら良いだろう。
たぶん、彼女とあなたは同じ美意識で同じ世界を求めているのだから。
ぼくは彼女の作品を一つしか読んでないし、全く覚えていないから彼女の世界はわからない。

「君はぜんぜん好きじゃないと思うよ」

隣人は言った。
ジャック・ロンドンやコーマック・マッカーシーの世界が好きなぼくは彼女に魅力を感じ、「美しい」とは思わないだろう。彼女が求め生きる世界は、ぼくが求め生きたい世界とは違う気がするのだ。
「母」という美しくも「強い者」を放棄し、淫らでさもしい「女」であること選択する者をぼくは「邪悪」だと感じるからだ。

ぼくは人間様の「愛」とか「恋」とかよくわからないし、人間様の「性」には吐き気を覚える。

どうして「母」ではなく「女」でありたいのだろう?
モット若ク、モットキレイニ。
そこで姑息にも化粧や整形で自分を偽ることを求めるのはなぜだ?
そんな「欲」は「母」に必要ないと思うのだ、ぼくは強い「母」であることだけで美しいと思うし、誰にも媚びない者、自分の意志を知る者、強ければ人は美しく見えると思うのだ。

「恋愛」に美しさはあるだろうか?

「あの女、すごく太っちゃったんですよ」
ぼくの隣で「女」は言った、クスクス嬉しそうに笑いながら。
同じ者を好いて、片方の魅力は枯れた。
何がそんなに嬉しいのか、何がそんなに楽しいのか。
そのシャーデンフロイデに寒気がする。

「ああいう男は大嫌い、本当に許せない」
ぼくの目の前で「女」は言った、怒りで興奮しながら。
その男は誰にでも優しく穏やかで、公平に見えた。
自分だけを特別扱いしない男と、その男を取り巻く女たち。
そのルサンチマンにゾッとする。

そんな話はぼくを恐怖に陥れる。
恋愛はホラーなのだ。
彼らの「邪悪」が恐ろしいのだ。
「恋愛」は「邪悪」を生むのではないか?
「性」は「愛」ではなく、「邪悪」を生んではいないか?



ぼくの近所に面白い人がいる。
彼はひどく中性的な人だ。
彼はいつもほとんど裸で自作のダンボールバッグを背負っている。
彼は非常に長い髪をしているがそれをキレイに結っている。
彼の物腰は柔らかいし人当たりも優しい、けれど日に焼けた身体は機能的に引き締まり、か弱くは見えない。
彼はホームレスではない、ちゃんと自分の土地も住民票も持っている、そこにテントを建て住んでいるのだ。

朝、ぼくらが散歩をしていると時々出会う、水路で、彼は水路で身体を洗い、洗濯をしているのだ、ポオは彼をクンクン嗅ぐ。

ぼくも密かにクンクン嗅ぐ。
彼も昔はメトロポリスでホワイトカラーだったらしい、いつもエアコンの効いた部屋にいたせいで冷え性が酷かったと、今では寝袋とテントだけで冬を越せるらしい、身体の機能が強くなったと彼は言うのだ。

「こうやって砂を入れて洗うと藻がとれるんだよ!」

彼はペットボトルをクルクル振りながら言う。
彼と話すと共感することがワンサカある、弱いぼくにはできないことを、強い彼は実践している、尊敬すべき美しい者だ。



ぼくの職場にオジサンがいる。
「オジサン」ゆえにみんなに嫌われたりする、うちの職場は女子が多いのだ。
ぼくはオジサンが好きだ。
彼と話しているとホッとする。
虫の話や、イモリ捕獲の話、イネの病気の話や、ツバメの巣作りの話。
彼は身近の自然をずっと見てきた人なのだ。
そんな彼と「草刈り」の話で盛り上がるのだ。

「除草剤はいけないよ、土が死んじゃうから」

微生物を愛する彼は言う。

女子たちは彼を罵る、「ぜんぜん使えない」とか言ってな。
けれど、ぼくは知っている、彼は黙ってみんなが嫌がることをしている。
女子に怒られても黙って言うことを聞いている。
ぼくなんかは「うるせーなァー」と不快を表しちゃうからまだまだ修行が足りないと思うのだ。
そんな彼は毎朝仕事に来る途中、道路のゴミ拾いをしている。
そのために早く家を出ているのだ。
ゴミが捨てられているのを見ると悲しい気持ちになるのだそうだ。
弱いぼくにはできないことを、強い彼は毎朝している、尊敬すべき美しい者なんだ。

「性」を絡めて人を見ると、どうにも外見だけで判断しがちだと思う。
人間は視覚に偏った生き物だから、見た目で判断しがちなのもしょうがないのかもしれないけど。

実に「性」を強調する者は、話すことも振る舞いもそういった臭いを帯びるのだけど、「性」を求めるものは「性」の臭いばかり嗅いでいて、それ以外の「臭い」は嗅がないようにしているようだ。
「男」と「女」の集団には何か嫌な臭いが漂う。
「生理的に無理」とはまさにこのことだろう。
ぼくは「邪悪」の臭いに怯え、逃げ出したくなる。


ぼくにとって「中性的な者」は、「強さ」という魅力を漂わせる。
ぼくは「強い者」の臭いを嗅ぎ取り、ホッとするのだ、イヌどものように。

彼らはいつも独りでいる、「独りでいることができる」のだ。
誰にも依存せず、誰のせいにもせずに、自分の考えで、自分の人生を生きているのだ。

ぼくの敬愛するシルヴィー・ギエムはそう言った。
彼女は強く、美しい者なのだ。


ぼくはポウくんに「性」など求めない。
彼はぼくにとって「中性的な者」なのだ、神さまだもの。
彼との関係はぼくがずっと求めてきたものだった。
ぼくは彼とただ在ることが愉しかった。
彼と走り、彼と笑い、彼と喰べ、彼と眠る。
彼と座って遠くの景色を見ることが。
彼の世界を見ることが。

そういう関係に繕った見た目だけのキレイさや「性」が必要かい?
ぼくはいつも泥だらけでキツイ臭いを放ってたけど、彼がぼくを嫌がる様子などなかった。
ぼくなんかは彼の「臭い」がたまらなく好きだった。
彼が生きている証拠だった。

毎日同じことの繰り返し、彼が隣にいることが何よりも嬉しかった。
ぼくごときが彼に求めることは何もないのだ。
ただ彼がぼくの隣にいてくれることが嬉しかった。

ポウくん、ぼくの神様。
彼は「強く美しい者」だった。
チマチマした生きづらい人間社会でぼくに合わせてくれさえした。
彼は、弱くせこいサルのぼくにたくさんのことを教えてくれた。
ぼくはまだまだ修行が足りないけれど、ぼくにはありがたい先生がたくさんいるのだ。


彼のように。。。

ソウイウモノニ、ワタシハ、ナリタイ