とどまる覚悟。



シンガリハオレニマカセロッ!

あとのことはおれがやるっ!

おれこのとはいい、さきにいけっ!


かっこいい。
私はそんなシーンが大好物だ。
自分を顧みず、目的のために体を張れる。

自分にはできないことだと思うから、カッコイイっておもう。

留まること。

ただまぁ、現代社会においてそんなシーンはほとんど無い。
残業くらいだろうか?
残念ながら、命をはらない仕事でさえそんな場面に出くわしたことは一度もない。

留まること、それには覚悟がいる。

留まることは耐えること。

留まることは、、、自分の時間と他者の時間を違えること。


自分の人生において、これまでそんなことはあったろうか。
自分の目的のために、そこにかじりついて戦ったことなんてあったろうか。

            私は、逃げながら戦った

仕事の関係で年の離れた友人たちとそういった話をすることは少なくない
そして、私はそれを薦める側の人間だ。

今学校に行かなくてもいいよ、と言う
今すぐに、働かなくてもいい、と言う
君の好きなことを見つければいい、と言う

でも、その裏で、自分と同じクラスだった子たち、同じ学年の子たち、同じ年代の子たちはどんとん先に進む。
自分も進んでいると思いたい、、、でも、そんなの、誰が保証するのさ。
彼らの内のそうした言葉が見え隠れする。
じゃあ、あなたはそうしたの?
あなたは、留まってたの?

私も耐えて留まっていればと思うことはある。

高校受験の時、
大学進級の時、
大学卒業の時、

今思えば、
あの時、自分の好きを通して、浪人していればありえたかもしれない獣医師や造形師だった未来。
あの時、自分の実力のなさと将来への不安を踏み倒して、役者になっていた未来。
あの時、留年して資格をとっておけばありえたかもしれない未来。

その全ては、他者との時間をこれ以上違えたくないと言う恐怖。
また、この時間が無駄に思える時があるんじゃないかと考える。

学校に行かなかったあの時期は、私は留まって
同じように学校に行かなかった仲間たちが溜まっている居心地のいい空間があったから耐えられたけど。
もし、無かったら。

私は、留まる覚悟、あったのかな。
同じように、子どもたちの道を指し示すあなた達に聞きたい。

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