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記号が記憶を記録する記述
昨日、生まれて初めて職務質問を受けた。
スーパー銭湯を出たのが0時。終電を意図的に逃して夜風にあたるために家までの30分を歩いた。
ふと、家の隣にフィットネスジムができたことを思い出した。
入口のチラシに目をやる。
<24時間、動画投稿大歓迎、器具充実>
ふーん。ちょっと興味がわいたところで
「すみません」
と背後から声が降ってきた。
ああ、スタッフさんだと思って振り返ると警察官がこちらを見ていた。
「ここで何してるの?」
「ジムのチラシを見ていました」
「不審な行動に見えたので。危ないものは持っていない?ナイフとか」
「財布とIpodとスマホだけです」
「一目瞭然だ、ご協力ありがとう」
僕という存在が、<ジムに通うわけがない記号>として証明された瞬間だった。少なくともその警察官にとっては。
前置きが長くなったけど、僕は何事もできるだけ覚えておきたい人だ。
だから、数年ぶりに集まったメンバーで<あの時、お前こんなこと言ってたよな」なんて投げかけると、大抵「そんなことあったっけ?よく覚えてるね」と返される。
なんだか僕が捏造したみたいで悔しくなる。そして、お前らにとって<そんなこと>だったことにも悲しくなる。
だから、記録することが重要だ。
僕の記憶する初めての記録は、<温泉評価ノート>だった。
僕の親は旅行好きだから、春休みもGWも夏休みも冬休みもどこかへ連れて行ってくれた。残念なことに食べものはあまり興味がなかったし、寺社仏閣に行っても難しくてよくわからなかった。けど、行く先々で出会う温泉や銭湯、宿の風呂、それらだけはひどく魅力的に感じた。
しかもお風呂の多くは、写真撮影NGだ。簡単に記録ができない。それもミステリアスで記録しがいがあった。
ノートの中央に浴槽の絵を描き、立地、温度、清潔感、果ては風呂上りの売店の様子などをつぶさに観察して、最後に五つ星で評価した。
キモトリップアドバイザーだった。
それからはなんでも記録するようになった。病的に。
小学生の時は、話しかけられたクラスメイトのリスト、星のカービィのオリジナルコピー能力(実に1,000体を超えた)、遊戯王のモンスターの名前をただ書き並べるだけのノート、もちろん日記もつけていた。
高校生になると、クラスメイトを揶揄した似顔絵と特徴を書いたルーズリーフが仲間内でヒットした。前略プロフから派生した<りある>は、先生も読んでくれて嬉しかった。
記録を共有することは、他人の脳みそを書き換えること。
そして今もその病気は治っていない。
僕が生放送より動画投稿を好むのは、形として残るからだ。
Twitterもそう。<観た映画の感想><今月新たに聴いた音楽>などをハッシュタグでコーナー化した。Twitterはすぐに流れてしまうから嫌いなのだけれど、一番人の目に触れやすいプラットフォームだからやむなく使っている。
人の趣味や考え方が生まれてから死ぬまで不変であればいいのに。
そうすれば、せめてもう少し真っ当でいられたのではないか。
昨日誰かの言っていた<一番>が翌日には<圏外>に容易く変わってしまうから今日も僕は執拗に記録しなければいけない。嘘にしないために。嘘つきにならないために。
僕の周りの多くは<その日その瞬間楽しければいいじゃん>と言う。
でもそれでは、明日死ぬかもしれない僕の人生の貴重な1日1日が甘んじて消費されていくようでやるせない。僕の歴史はトイレットペーパーじゃない。
僕は何回失恋しなければいけないのだろう。ムカつく。
「変わり映えのない毎日を送っています」
馬鹿言え。昨日ここに猫は通ったか?コンビニのヤクルトは売り切れていたか?駅でぶつかって舌打ちはされたか?
昨日と今日が全く同じなわけがないのだ。よく似ているし、血は繋がっているかもしれないけれど、別個体だ。その差異を記録して初めて僕はその日を終えられる。エッシャーの絵とはわけが違う。
そんなことをずっとずっと、やってきた。多分今後もやるだろう。
もうここまで読んでいる人は奇特なんだけれど、よかったら僕のことも記憶してください。そして記録してください。
タトゥーとは言いません、タトゥーシールでいいです。
2022年1月30日 自室にて、爽健美茶をすすりながら、冬。