元・メンヘラホイホイとして
メンヘラホイホイという言い方は実は相当失礼だ。
なぜなら、ホイホイという言葉はもうほとんどあの虫にしか使われていないからだ。あの虫は素早く動き回り、何回退治しようとしてもなかなか死なない。
速やかに言質を取り相手を追い詰め、何回「死にたい」と言ってもなかなか死なないメンヘラというイメージでかけてるのだとしたらそれはとっても悪趣味だ。
誰が言い出したんだ。
最初に言っておくが、この記事で語られるメンヘラとは、ちょっと病みがちで粘着質な人を指しているので、誤解なきようお願いしたい。また、僕の出会ってきたメンヘラさんをモデルケースとしているので、偏見っぽく見えてしまうことも了承いただきたい。
僕は長い間、メンヘラホイホイと言われてきた。明らかにメンヘラとされる女性に好かれ、そして怖い目も見てきた。
詳細については触れないけれど、当事者だった僕は思うのだ。
結論、メンヘラホイホイが悪い。
メンヘラさんの話を異常なほど親身になって聞いてあげると、「この人は私のことだけを見てくれてる、見捨てないでくれる」と思い込まれ、結果粘着される。
ソースは僕。
おかしいとは思わないだろうか。なんで、そんな深夜でもすぐラインの既読をつけて「家庭のほの暗い事情」などを延々聞いているのだろうと。
実は、メンヘラホイホイは気付いている。
人の話を親身になって聞き過ぎるとき、「あれ?このままだとやばいな。粘着されるな」と正直思っている。
人間は学習する生き物だから、一度目は難しくても二度目は確実に気付く。
でもやめない。その理由は大きく分けて2つある。
①この状況を楽しんでいる
たとえば、友達の失敗談や自分のしょうもないミスの話などエピソードトークに飢えている人間はこのパターンが多い。このまま粘着されれば何か面白いことが起きるぞ。笑い話が一つできて、次の飲み会盛り上がるぞ、と。
正直言ってこいつは最低だ。親身詐欺だ。どうかしている。親の顔が見てみたい。
②このジャンルの女性なら相手にして貰えると勘違いしている
誰かと好きになり合うことは、難しい。友達になるのでさえ、色んな障壁があるというのに、恋人となればそのハードルは棒高跳びへと変貌する。
そういった悩みを持たない俗にいうリア充、陽キャたちはそもそもメンヘラに粘着されづらい。だって、そのメンヘラさんにだけ割いている時間なんてないし、「へぇ、そうなんだ。でさ~」と別の話題への切り替えがとても上手い。
しかし、メンヘラホイホイはそうはしない。どうでもいい薄っぺらい相談や愚痴をものすごい時間をかけながら麺棒で伸ばし続ける。
そのぐちゃぐちゃの二日酔いみたいな時間を大切にして、着実に底なし沼へと足を踏み入れるのだ。
モテない奴が唯一持たされた、攻略法。
自分の睡眠時間と友達付き合いを生贄に捧げさえすれば、手に入る称号。それがメンヘラホイホイ。そう信じてやまないのだ。
その行為が興味本位なのか、<こんなに必要とされている俺>という承認欲求を満たしているのかは人それぞれだけど。(ちなみに、かなり少数だけれど天然のホイホイもいる。その人たちのことを僕はよく知らないので、ここでは取り扱わない)
僕は、①と②と、これから語る③と④のクォーターだった。彫りは浅いけど、業は深い。
なんか良さげなグループに着いて回るキョロ充だった僕はいつも何かに必死だった。
そんな息も詰まるような日々。誰かの顔色を窺って、合わせるだけの面白くない日々。その逃げ道の先にメンヘラはいた。
今だから言うけど僕はメンヘラに甘えていた。
正直今となっては勘違いも甚だしいと憤りも感じる。
メンヘラさんの話を聞きたいというより、誰かに必要とされてみたかったのだ。替えがきく量産型ではなく、誰かの唯一無二に。だから、メンヘラホイホイの海に飛び込んだ。けれどやっぱりどこかで行き違いが起きて、気づいたら僕はまた誰かの金魚のフンとして日がな一日くっついて、挙げ句メンヘラとのエピソードを詳らかに話したりした。
その話はとてもウケたし、認められたみたいでとても嬉しかったけど、所詮一瞬の喜びに過ぎず次の日にはまた元通りだった。だから僕はまた息をするためにメンヘラさんのいる逃げ道に走った。
それは、お金を借りたけど何も言ってこないから、こっちからはその話題には触れないみたいな気持ち悪さがあった。
その事実に気付いていながらも、メンヘラホイホイをやめられなかったのは結局のところ僕の弱さや卑しさに起因するのだけれど、実は別の理由が大きなウェイトを占めている。
③メンヘラとの共通の趣味が多い。V系バンドだったり、昭和エログロナンセンスだったり、ゴシックなファッションだったり。なかなか日常でそんな話題ができる友達もいないので、彼女たちとそういったコンテンツについて触れ合う時間はとても尊いものだった。単純に嬉しかったのだ。
④そして何より、メンヘラの生き様が大好きだった。
僕みたいに人の目を気にしながら、顔色を窺いながら、おどおどしたりしない彼女たちは、人の目を引くファッションやメイク、ヘアスタイル、持ち物などを堂々と身に着け、私はこうだ、と強く自分を持って生きている。
羨ましい。
なんて気高く美しい生き物なんだろうと思った。そのあまりにも装飾の多いちんまりとした日傘も、季節を問わず白く眩しいニーハイもすべてが芸術だった。だからできるだけ彼女たちと接していたかった。でも、あまり距離を詰めすぎると大けがをする。毒を持った虫や動物が総じて魅惑的な色合いをしているのと似ている。
僕にとって、その距離感を見定めるのはあまりに難しくて、いつも痛い目をみては、その失敗も笑い話になれば、と自分を慰めるのだった。
これが僕の正体だ。
だけれど、こんなのは間違っている。
そもそもメンヘラの生き様を愛しながら、一方で笑い話のネタにするなんて最も筋の通っていない最低な行為だ。被害者面もいい加減にしてほしい。
だから僕はホイホイをやめた。
あからさまに<親身になり過ぎる>ことをやめて自然に接することにした。そしたらちゃんとモテないだけの僕が明るみになった。でもそれが正しい。
むしろメンヘラに執着していたのは僕の方だったのだから。メンヘラメンヘラだ。
僕はちゃんと評価されたい。お笑いの賞レースで誰かを貶すネタが勝ちあがれないのと同じだ。できることから、正しく生きてみたい。
自分に筋を通して、大きくぶれることなく、人と接していたい。
最後に、僕自身がメンヘラなのではないか?と言われることがたまにある。
確かに、ぽい。でも実は全然対極にいる。
なぜかというと僕はほとんど悩まないし、たとえ悩んでもすべて<俺はなんて可哀想なんだろう>と自分を分身させて慰められる。大抵寝たら「どうにかなるだろ」とケロっとしているし、そもそも病んでる時間がマジでもったいない。
せっかくの日曜日にずっとメソメソするのなんてごめんだし、そんなの時給が発生してほしい。
僕は僕をあらゆる方法であやして前向きにできる。セルフスタジオアリスだ。
だから、悩みがちな人はぜひ相談してほしい。上手く自分をコントロールする方法を伝授してあげよう。そうでなくてもまずは話だけでも聞かせてほしい。
24時間365日、深夜でも休日でもいいよ。
君の痛みは、半分こにして一緒に背負ってあげる(暗黒微笑)。
ほら、
こういう奴気をつけて。
2022年4月11日 自室にて、外腿をかきながら、春。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?