「推し舞い」というはじまり
小学生の頃、おもしろフラッシュでBUMP OF CHICKENに触れた。
もちろんそれは違法だし、褒められるものではないのだけれど、でもそのおかげで彼らを知ることができた。
ヴォーカルの藤君(=藤原基央)が「目つきが悪い」のを気にして前髪を伸ばしていることを知った。
僕はそれから前髪を伸ばし始めた。藤君になるために。
僕の「推し」デビューの瞬間だった。
憧れだけで生きている。
僕は何かに憧れないと生きていられない。
んー、違うな。生きると憧れるはもうおんなじ意味なんだろう。
振り返れば、僕には何かに憧れていない時間が1秒もなかった。
小学校高学年の時、「BLACK CAT」(矢吹先生の出世作)の主人公、トレインに憧れて休みの日は首に鈴をつけて過ごした。デパートでシャンシャン鳴る孫を見て、おばあちゃんは怪訝そうな顔をした。
中学に上がれば「DEATHNOTE」(大場つぐみ、小畑健先生の傑作)の名探偵’’L''に憧れて、彼の独特な所作を真似した。座り方も、携帯の持ち方も、歩き方も、なにもかも…。体育祭の時、リレーの選手の僕はL走り(下を向いて腰を曲げたまま両手を広げ気味に振る)をして、クラスメイトから顰蹙を買った。
そして中2の春。
ヴィジュアル系の文化を知り、PlasticTreeというバンドを好きになる。ヴォーカルの有村竜太朗は色白で前髪が長くて美しくて、文学的で物憂げだった。
圧倒的に僕は彼になりたかった。いや、今もなりたい。
もちろん彼が影響を受けたであろう書籍は大体読み漁った。
いわゆる推しの推しだ。
穂村弘の「求愛瞳孔反射」も村上きわみの「fish」もワタナベカズヱの「カノン」も楠本まきの「KISSxxxx」だって持ってる。
恋愛感情よりも強い<好き>だった。
だから、2017年9月6日。
ニコニコ生放送の企画で有村竜太朗が、実況者たちとマリオカートをする企画を知って、度肝を抜かれた。
あの有村竜太朗が。ゲーム実況者と。ゲームをしている。
その後、参加した実況者と一緒に写っている写真がツイッターにアップされた。みんなお会いしたことのある先輩実況者だった。
そんなことがあっていいのだろうか。
僕もこの活動を続けていたらいつかは彼に逢うことができるのだろうか。
でも、多分。僕はそれをよしとしない。
僕は心底彼になりたくて生きている。今なおその過渡期であると信じている。
だけど、いや、だからこそおそらく対面して言葉を交わしたらもう無理やり気づかされてしまう。
<偽物が本物にはなれないこと>を。
どんなに毎日曲を聴いても、歌詞をノートに書いても、寺山修司や銀色夏生を読んでも、僕は彼になれない。
憧れには、一定の距離が求められる。
彼について語りたいことは山ほどあれど、彼に対して語り掛けたいことなど全く思いつかない。
「ありがとう。」が関の山だ。
以前、実況者の先輩Pさん(イニシャル省略)が言っていた。
「THE BACK HORNが好きだけどライブに行かないのは、もし行ったら、好きすぎて失禁するから」
その時は笑ったけど、ほんの少し近しい感情に思えた。
逆に僕の周りのリア友はみんな「推し」がいない。好きなものはあるけど、崇拝はしていない。それは多分、自分というオリジナルを軸に生きているからだ。
自分の人生を豊かにするために、好きな本やお笑い、音楽、映画などを嗜んでいる。もちろん僕にもそういったものは沢山ある。
でも有村竜太朗の存在は決定的に違う。そこに僕自身の軸はあまり必要ない。
自分を消して、憧れの存在に憑依したいと思っている。
僕からは何も生まれない。
とまあ、マイナスに考え始めるとキリがないからこの辺にしておくけど、とどのつまり、一挙手一投足、僕は誰かのつぎはぎだ。
強いて言うなら、僕が唯一持っている才能は憧れへの執着心。
空っぽだから、人よりも多く感動できる。誰かをもっと好きになれる。
そう考えたら空っぽもそう悪いものでもない気がする。
でももし、いつかこんな僕に憧れる誰かが現れたらこう言うんだ。
「もうきみは、推し舞いだね」
2022年2月6日深夜 自室にて、チョコラBBを飲み込んで、冬。