絶対女の子がいいな
「可愛い」への執着が昔からエグい。
親からの愛情を一身に受けて育った私は
「可愛い」側の人間だと思って幼少期を過ごした。
小学生時代は、人生最大のモテ期で、毎年何人もの男の子に告白されてたし。告白されても返事しないみたいな、無視する、みたいなのが多くて、ほんと、ごめんなさい今考えたらクズすぎる。でも全部断ってたのは、ずっと好きだった男の子が居たからで。
その6年間ずっと好きだった男の子に卒業式に告白して振られた。百戦錬磨だった私(12歳)はなんのギャグかと思ったし、「え?この私が?」って本気で絶望した。だってそうやんね、今まで思うがままに人生(12年間)が進んできたのにさ、1番好きだった男の子に振り向いてもらえないなんて、少女マンガか何かか?そりゃ相当ショックでしょう。
そこにきて、初めて自分の顔をまじまじと鏡で見たんだと思うんです。そしたら、驚くほどに「可愛くない」
お母さんもお父さんもなんで言ってくれんかったんや、クラスで1番可愛いあの子とは、目も鼻も口も全然違うのに、なんで可愛い可愛いと育てたんや。
そこから今度こそ、「可愛い」側の人間になるために、快進撃、、、復讐劇が始まった。
よくある「絶対可愛くなって、振ったことを後悔させてやる」という失恋目くらまし。
中学生向けの雑誌を買って、恋愛小説を沢山読んで、可愛いあの子をたくさん観察して、髪型も笑い方も目も口も物言いも性格も「可愛い」にハマるように必死になった。
ピンクが好きだなんて、心から思ったことはない。それでもみんなが私のイメージカラーを決める時、絶対ピンクになって欲しかった。ピンクになりたかった。かわいい女の子を代表するあの色に。
中学を卒業する頃にはその男の子の事なんてとっくに忘れて、別の彼氏ができていた。正直人生のウエイト軽すぎて、今思い出すのに時間かかったけど、人生絶好調だった、と思う。ノリで買った百均のアイプチで、汚ぇ二重にした私は「絶世の美女ではないけど、グループでは1番可愛い女」だと自分のことを思うようになってた。
しかし高校入学でまた心折れる。
メイクを覚えた15の乙女たちは、あまりにも「可愛かった」。顔面格差を感じた。己の素材ではどうにも太刀打ちできない気がした。さらには思春期ニキビ...3年間のアオハルをマスクで乗り切るの、まじで勿体ない...でもしかなかった。歳を重ねるにつれ、すごく客観的に自分のことを見ることができるようになっていった。大学生活を終えて、行き着いた私は「努力で並よりこましになった顔面」であり「性格との相乗効果によって、愛嬌のある人間」だと冷静分析する。
ふとたまに、人の真似を繰り返して得た「可愛い」になんの意味があるんだろうと思う時がある。それは恋人にブサイクと言われるとき、Twitterで顔面が整った女の子をみたとき、朝のどすっぴんの自分の顔を見た時、日常の中に沢山溢れてる。目に見えてイライラすることなんて稀で、たくさん積もった時に、生きてる意味すら分からなくなる。
「可愛い」とはなんなのか、全然分からない、具体的な説明なんてできるわけがない、あんなに必死に追い求めてるのに、じゃあどうなりたいの、どういう状態をさすのって言われたら、黙ってしまう。
でも、絶対に私だけの可愛いがあるはずで、絶対にそれを諦めたくない。幼い頃から囚われてきた「可愛い」を、歳のせいや世の中のせいやにして諦めた時に、私のアイデンティティは本当の意味で喪失すると思う。
結局生活の全てが、可愛いにたどり着く私は、人からの可愛いがエネルギーの源だし、それが自分で自分を可愛いと思う自信に繋がるし、大概のストレスは自分のこと可愛くねぇなって思ってる時にきてる。内面的にも。可愛いに邪魔なものは、仕事にしたくないから、思い切り着飾って可愛いを追求できる仕事を選んだし、だったら手を抜かず、外見も内面も、最強に可愛い女の子になりたい。抽象的でいい。答えは今探してるし、一生かけて探すことだから聞かないでほしい。というか正解がない、可愛いといって育ててくれた親の「可愛い」も、恋人が寝ぼけていう「可愛い」も、後輩たちが褒めてくれる「可愛い」も、仕事中お客様がくれる「可愛い」も、全部正解で、全部私の可愛いとはちょっと違う。でも嬉しい。
これからも一生かけて可愛くなれますように。どうか死ぬ時1番可愛い私で死ねますように。