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グッバイ・マイマリー

彼とのお酒は楽しかった。彼の家から徒歩30秒のところにある、居酒屋で、毎晩のようにレモンハイを浴びた。灰皿は各々に1つずつあって、彼のペースに合わせて、たくさんのタバコで肺を汚した。顔を覚えられるぐらい通ったあの居酒屋の店員は、私たちの事を、ごく普通のカップルだと思っていただろう。毎晩のように一緒に来て、同じマンションに吸い込まれていく。

私たちは他人から見ればどこにでもいるカップルで、実際に二人はそこから1番程遠い場所にいた。私はいつまでもずっと、彼に片想いで、彼もまた代わる代わる他の人に片想いをしていた。たくさんの人に恋をするくせに、私に気持ちが向いたことはなかった。それでもずっと一緒に過ごした。記念日もクリスマスも誕生日もあってないようなものだったけど、毎日が濃くて、この人といる限り私は最強になれると思っていた。

突然夜中にドライブに連れ出されたり、漫画を全巻買いしてみたり、お風呂にお酒を入れてみたり、別の人と寝たことを報告してみたり、突然東京行きの新幹線に乗ってみたり。
やりたい放題だった。とにかく刺激を求めていたし、刺激を与えられる人じゃないと不要とされてしまうと感じていた。それがたまらなく怖かった。この人に必要とされなくなれば、私は生きていけないと本気で思っていた。どこまでも自由で、狡くて、ワガママで。私一人では出来ないと思っていることを、簡単にやってのける彼が好きだった。それを抑制したら彼の良さが奪われてしまうと思っていた。

実際は抑制できるほど、相手にされてなかったと思う。それでも、こっちを見て欲しかったから、私は彼の全てを受け入れられるフリをするのに必死だった。ずっと、酸欠状態で過ごしていた。

私たちの間には、スキンシップがなかった。同じ布団で寝ているのに、私から触れようとすることを一切拒まれていた。そのくせ、情緒が不安定になると、向こうから一方的に抱きしめられるのだ。そんなのは、メンヘラからしたら全ての悪事への免罪符になってしまう。どんどん溺れていった。

彼が好きだったMy Hair is Badのライブに行った帰り、たまたま泊まったホテルで、お酒に酔った彼に、触れることを許された。気まぐれだったと分かっていたけど、許されたことが嬉しくて、たくさん、たくさんのキスをした。唇に触れられることがこの上なく嬉しかった。
でも、彼はそれに応えようとはしなかった。拒否はしない、怒りもしない、でも、受け入れもしなかった。繰り返しキスをするにつれ、自分の惨めさに悲しくなって、涙がでてきた。こんなに、愛を持ってキスを重ねているのに。何も伝わらない、何も届かない。それに気づいてないのか、気づいてないふりなのか、今ではもう分からないけど、彼はそのまま眠ってしまった。
王子はお姫様のキスで、眠ってしまった。つまり、私は運命の人ではないのだ。人生でこれほど、プライドをねじ曲げられた夜はないし、もう二度と来ないで欲しい。

その夜のキスで、逆に目が覚めた私は、着々と彼から離れる準備をした。彼をたまらなく好きだった気持ちも、悪い魔女に呪いをかけられていただけだったと分かった。おとぎ話の中に生きていた。非現実的なスリリングさに、恋をしていたのだ。これぞまさに、愛ではなく、恋だった。

合鍵も返してもらった6月の昼下がりに、彼のTwitterをチェックしていたら「グッバイマイマリー」と呟いていた。

「結婚したいなって思ってたんだ でも思っていただけだったんだ 」

私にとってはスリルのある恋愛だったが
彼にとっては安定した都合のいい女だったことがそのツイートでよく分かった。

どういうことかわかんないのはこっちのセリフだな、と思いつつ、静かに画面を閉じた。



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