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左耳
「そうだ、死んだことにしよう」
通勤途中に好きなバンドの曲を聴きながら、もはや面影が思い出せないくらい、長く会っていない“好きだった人“のことを思い出した時に強く思ったのだ。
実際もう会うこともないのだけど、どうもこの世に彼が存在していると思うと、1mmの確率で「どこかで会う事があるかもしれない」という思考に陥ってしまう。そうなるともう大変で、その日に備えて、毎日可愛くいなきゃいけないし、触れられてもいいようにスタイルを維持しなければならないし、彼氏がいたら先に進めないから、新しい恋はしないでおかないといけないしで、大忙しになってしまう。
「だから、死んだことにしてしまおう。」
そうすれば、少なくとも1mmよりは多い確率でこの先出会うであろう“新しい好きな人“のために毎日を生産的に私を組み立てていけるから。
大体、こんな恋愛ソングを聴きながらふと思い出してしまう自分にうんざりしてしまう。そろそろこの曲に出てくる「あなた」は他の人にしてしまいたい。よし、でももう、死んだことにしちゃったし、きっと大丈夫。と思いながら次の曲に進めて、しばらくして、ハッとした。
「君が居なくなったら アタシはどうなるかな」
次に流れてきた曲は、クリープハイプの左耳だった。私は彼の昔の女でもなければ、急いでピアスを刺す側の女でもなかった。ただ、私が勝手に好きになっただけだし、そのまま見事に玉砕した。
でも、彼も、私も、左耳が1番好きだった。いや、実際は彼が「左耳が1番好きだ」と言っているのを聞いて、私も意識して好きになったんだった。何度も何度も聴きかえして、私は「アタシ」に自分を重ねていた。この曲を好きになった背景に、彼にも昔の女がいるのならと思うと、苦しかった。ずっと傍にいたい、あなたが好きよとずっと目を見て伝えたかった。
「君が居なくなったら アタシはどうなるかな」
君が居なくなったって、私はどうにもならなかった。だってそんな曲があったことすら、今日まで忘れてこれたんだから。「死んだことにしてしまおう」とか、大それたこといって、全然忘れられないみたいな顔して、私の日常にふらっと現れるくせに。この曲を繰り返し聴いていた頃の「アタシはどうなるかな」の気持ちにはもう戻れないし、戻らないのだ。そんなにどうにもなってない。
もしもこの世に本当に彼が存在しなくなってくれたって、彼の記憶をすっぽり奇跡みたいに忘れることができたって、クリープハイプの名前を見る度、左耳を聴く度、必ずわたしの心に彼は現れるだろうけど、でも
「別にそれ もう要らないし」