無理せず死別と共に生きていく 気持ちが少し楽になった考え方
ご家族や大切な人、ペットを亡くし、辛い思いをされている方がたくさんいらっしゃると思います。
新型コロナウイルス感染症によって突然ご家族を亡くし、通常のお看取りや葬儀ができないことも加わって、気持ちの整理がつかない方も多いかもしれません。
私は家族と死別してから、常に心の片隅にその家族のことがあり、いつも複雑な感情を抱えています。
ですが現在、普通の日常生活を送れるようになりました。
仕事をしており、同僚と楽しく雑談することもあります。最近は、旅行に行って楽しみたいと思えるようになりました。
だけど、立ち直ったわけじゃない。乗り越えたのとも違う。この哀しみや後悔、罪悪感が、消えることはないと思っています。
それでも、以前よりは生きやすくなりました。
今日は、気持ちが少し楽になった考え方を二つご紹介します。
一つは、哀しみを乗り越える必要はなく、心の風景の一部だと考えること。
もう一つは、人が亡くなるというのは、本人は変わりなく、視界からいなくなり見えなくなっただけだ、と考えることです。
乗り越えるのではなく風景の一部になる
家族を亡くした後、「こんなに辛い経験を、他の人はどうやって乗り越えているんだろう」と思っていました。
私には、乗り越えるなんて無理。
そしていつからか、私は自然と、乗り越えようとはしなくなりました。
それは、もうずっと、私の中にある。死別と共に生きていく。そんな感じです。
歌手の宇多田ヒカルさんが、YouTubeで話していたことが印象的です。
「あぁ、そういう事か」と思いました。腑に落ちた感じ。
ご家族を亡くした視聴者の方から、「ヒカルさんは、哀しみをどうやって乗り越えてきましたか」と質問され、次のように話されていました。
今の私の状態は多分、山が風景の一部である感じなんです。
心からも記憶からも、消えることはありません。その辛い感情はいつも心にあるけれど、それを乗り越えようとか、立ち直って前向きになろうとか思わないです。
死別からまだ数か月しか経ってない頃、精神科医と話している時に、「元の自分に戻れるかわからない」と言って泣いた事があります。
何年も経った今でも、死別を経験する前の、元の自分には戻っていません。以前のような私には戻れない。
でも、それでいいんです。
諦めたのではなく、「これが私」と思えるようになりました。
視界からいなくなった
身近な誰かが亡くなるということは、もう一生会うことのない別れですが、考えようによっては、自分の視界からいなくなっただけなのかもしれません。
家族との死別から数年経ち、気持ちが少し落ち着いてから、グリーフケアの勉強をしました。
喪失による悲嘆とそれに伴う心身の反応をグリーフといいます。
そして、グリーフを抱えた方に寄り添う援助をグリーフケアといいます。
勉強している中で、読んだら心が少し楽になったものがあります。ある講座で紹介されていた、「死ぬということ」という詩。
原題は、”Gone From My Sight”(視界からいなくなった)。お看取りをする方に向けて書かれた冊子の、最後に書かれている詩です。
亡くなった人は、もう向こう岸について荷物を下ろし、ほっとしているかもしれません。
楽になっているといいな。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。まだnoteに慣れていないため、著作権の問題がある場合は教えていただけると助かります。