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この秋、読み味わって欲しい文学【宮沢賢治】

探究部顧問のMr.Sです。
みなさんは、ふとした瞬間に「自分って何なんだろう?」とか「生きる意味って?」なんて考えること、ありませんか?
秋は何か思索に耽りたくなりますよね。
今回は、読書の秋ということで読書案内を試みた記事です。

1.青空文庫 アクセスランキング

青空文庫(kindle版をおすすめします)を使えば、古典的名著を無料で読むことができます。
そんな青空文庫では、どのような作品がよく読まれているのでしょうか?
以下は、青空文庫 XHTML版 アクセスランキング (2022.01.01 - 2022.12.31)です。

このランキングを見ると、上位20位が8人の作家によって構成されていることがわかります。

宮沢賢治:6作品
太宰治:3作品
夏目漱石:5作品
中島敦:1作品
芥川龍之介:2作品
梶井基次郎:1作品
夢野久作:1作品
鴨長明:1作品

あの作家の作品がない!と思った方もいるかもしれませんが、それは著作権の関係で青空文庫化されていない可能性が往々にしてあります。
さておき、今回は最も作品の多かった宮沢賢治について、読書案内をしてみたいと思います。
ターゲットは高校生をイメージしています。

宮沢賢治

まずは『貝の火』を挙げてみました。

主人公のホモイという名の子兎は、不思議な力を持つ「貝の火」という宝珠を授かります。その宝珠の表現がまた美しいです。

貝の火が今日ぐらい美しいことはまだありませんでした。それはまるで赤や緑や青や様々の火がはげしく戦争をして、地雷火をかけたり、のろしを上げたり、またいなずまがひらめいたり、光の血が流れたり、そうかと思うと水色の焰が玉の全体をパッと占領して、今度はひなげしの花や、黄色のチュウリップ、薔薇やほたるかずらなどが、一面風にゆらいだりしているように見えるのです。

『貝の火』、宮沢賢治、青空文庫

貝の火の美しさは、徐々にホモイの心を変えていきます。

注目したいのはこのセリフ。物語の最後にホモイの父がホモイに言ったセリフです。

「泣くな。こんなことはどこにもあるのだ。それをよくわかったお前は、いちばんさいわいなのだ。目はきっとまたよくなる。お父さんがよくしてやるから。な。泣くな」

『貝の火』、宮沢賢治、青空文庫(太字は記事編集者による)

「いちばんさいわい」とは、どういうことでしょうか。何が、なぜ「いちばんさいわい」であると言っているのでしょうか。

宮沢賢治の作品を読むと、「さいわい」「ほんとうのさいわい」という言葉を度々目にします。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」
カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」
ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」
カムパネルラがぼんやり云いました。

『銀河鉄道の夜』、宮沢賢治、青空文庫(太字は記事編集者による)

するとある日いたちに見つかって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命にげてにげたけど、とうとういたちに押えられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないで、さそりはおぼれはじめたのよ。そのときさそりはこう言ってお祈りしたというの。
 ああ、わたしはいままで、いくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸のために私のからだをおつかいください。って言ったというの。

『銀河鉄道の夜』、宮沢賢治、青空文庫(太字は記事編集者による)

宮沢賢治の「さいわい」については、膨大な研究があります。
あまり難しく考えずに、宮沢賢治の作品を一読してみてはいかがでしょうか。

続いて『春と修羅』の序です。
これを読んでどう思いますか?

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

『春と修羅』、宮沢賢治、青空文庫

ずっと咀嚼したくなりませんか。
私たちが普段ともりつづけていると考えているLEDや蛍光灯も、細かく点滅を繰り返しています。
ふとそこに人間の生死を重ねてしまいます。

ちなみに『春と修羅』第二集には、教師宮沢賢治が生徒に向けた詩もあります。着地点がわからなくなってきたので、この言葉を引用して結びたいと思います。

(略)

けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ

『春と修羅 第二集』、宮沢賢治、青空文庫

2.  終わりに

名著を簡単に読めるって何て幸せなんでしょう。
名著は様々な時代に読まれ、その度に解釈され、私たちはそれらを通観できます。(この時代はこんな読まれ方をしたのかというレベルで)
同じ作品でもみなさんの年齢や立場によって様々な読み方ができると思います。
ぜひ高校生の今、様々な作品を読んでみてください。きっといい出会いがありますよ。

拙い読書案内でした。

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