2回目の生活保護を受けてるよという現状報告、そして生活保護と欲望のエンドレスゲーム
数人は普通にご存知だと思うんだけど、5月からまた2回目の生活保護を受けてます。自分の現状を全部詳らかにせずともいいかと黙ってた理由は、言うのがめんどくさかったのと恥ずかしかったからです。でもそれを隠してる方が自分の言いたいことを言えずにアホらしいわとなったので、これを書いています。
アロマセラピストから派遣社員にジョブチェンジして生計を立ててましたが、出勤を前提にしている働き方はどうにも勤怠が守れず、週5フルタイムもやっぱり無理してたみたいで、3月くらいから徐々に体調がおかしくなって動けなくなりました。私は10時間以上寝ないといけないロングスリーパーで、8時間+休憩+通勤を考えると本当に自分の時間が取れずに辛かったです。多分これが健常者に同化した社会人になるってことなんだろうけど、我慢して働くのが当たり前じゃん、みんな辛いんだよと言い聞かせても当日の朝にならないとその日の体調がわからないギャンブル性を抱えながらクローズで働くのは相当負担だったと思います。器用な体力お化けならやってけるのにって意味ないことで自分を責め続けて、帰宅後はずっと花束みたいな恋をしたよろしくTikTokを見続けるゾンビになってました。なぜ働いていると本が読めないのか!
生活保護に戻ってからは早く利用停止して自由にお金を使いたくて、でも通勤が必要な働き方に挫折していたので、在宅でできるWEBライターをしていました。クラウドワークスとかランサーズを使って、低単価で案件を受注して働いていましたが、くだらないと思っていたSEOを仕事にするのは持続不可能だったみたいで、さらに体調が悪くなり、やめました。FeloやGensparkなどの検索型AIの台頭によって、SEOに即したいい記事を作れば検索上位に表示されて稼げるような時代でもなくなってきたよなあ...とAIに私が書いたよりも遥かによくまとめられている記事を書かせながら思うような虚無の日々に耐えられなかったのも大きいです。そこで求められる記事は全く個性や自我が必要とされず、指で弾かれながら斜め読みされる文章を書くために知恵を絞るのも消耗していく要因でした。
その時はライターだけではなく、在宅で稼げるいわゆる副業系の情報収集を毎日していましたが、嫌悪感と上昇志向の折り合いがつかず、お金のことで頭が支配されていて、こんなにもお金が欲しいのに、稼ぐという前向きな努力ができない私はなんて無能なんだと自分を責めていました。個人でお金を稼ぐというのは思っていたよりも大変で、キラキラフリーランスのインスタを見ていても大体がこんな成功した私になるためにはどうすればいいかという情報商材で稼いでいて、不健全な資本主義を感じながらも憧れる気持ちと心底軽蔑する一丁前の自我との間に引き裂かれていました。
愚かな私は撒き餌に引っかかり、初回無料相談などに申し込んだりしたのですが、ある人には心身ともに健康な人のみを対象にしていると言われて相談さえも断られました。つまりこれはこの人の言うとおりに稼ごうとしたら相当な負担を強いられるってことです。zoomで話してくれた方もいましたが、今までの経験を活かしてnoteで恋愛指南をコンテンツとして売れと言われたので、この界隈と自分の相性の悪さを再確認することになりました。恋愛指南をはじめとした婚活コンサルタントなどは男女ともにミソジニーやミサンドリーが強くなる職業でしょう。
私は野心が非常に強く、ハングリー精神が旺盛なのに、半端な社会人としてしか働けない障害者であるというハンデを抱えています。おそらく私はこの重石がなければバリキャリのネオリベ申し子として、社会人なのにCANMAKEやセザンヌを使っている女って恥ずかしいよねと言いながらなんの躊躇もなく家事代行を頼み、パートナーとの情報共有にスライドを作ってプレゼンをする資本主義が性根に染みついた嫌味な女になっていたと思います。弱者のことなど何も考えず、自分の成長のみに邁進するような冷徹な人間になりたかったです。でも、2級精神障害者手帳持ちの私こそが立派な弱者です。
なんでお金のためにやりたくないことができないんだろうというのは昔からの私の悩みで、我慢が一切できないのです。思っていることしか書けないし、言えないし、それのせいでいっぱい損も失敗もしているのに、自分だけのためにある誠実性を捨てられない。
でもこれって、私が障害者だから直面している悩みなわけじゃないと思うんです。私は派遣社員で働いてた時、週5フルタイムで手取り20やそこらだったけど、本業に希望が持てずに副業に手を出す人っていっぱいいるじゃないですか。副業がうまくいったら独立しようとか夢を持ちながら、でも実際副業でよくある楽天ルームのアフィリエイトはやりたくないなあ...と思う人ってマイノリティじゃなくて、一般的な人間だと思うんですよね。副業がなんで必要かって言ったら単純に20万だけじゃ頼りないからで、物価高を乗り越えて好きなようにお金を使うには、もっともっと稼がないといけないと自助の方に自分を持っていく人はたくさんいるはずです。でも、副業界隈ってほんとに政治に一切期待せずに自分でなんとかしていくみたいなマッチョ感がすごいし、大抵そこで取り上げられている副業って地味作業系でつまんないし、よくあるアフィリエイトって搾取的で疲れるし、そもそも週5で働いて疲れ切ってるのにさらに休日に成果を上げなきゃいけないような活動ができる人って、絶対少数派なんですよ。そんなにお金のためだけに努力ができる人ってたくさんいないはずで、それが多数派ならもっとみんながFIREを狙っていると思います。搾取したり、自分の正義に反することでお金を稼ぎたくないと思う気持ちって、お前をずっと見ていたぞ今からお前には莫大な富が流れ込むの虎をAIで量産して広告収入を得ようとすることへの嫌悪感って、ありふれたものだと思うんです。
ちょっと話がズレるようですが、私は、働いてた時に使えるお金が30万を超えてました。本業の派遣社員20万、障害年金が月に7万、リッチな友達に破格の値段でやらせてもらった英語の家庭教師の副業代5万で生活してました。生活保護を受けていた頃からしたら夢のようで、交際費は3万近い時もあったし、趣味のシーシャで2万使って、さらにたまにアフタヌーンティーに行くみたいなことしてたら30万じゃ全然足りなかったです。生活保護の反動で散財しまくる生活が1年くらい続いて、それでもこのライフスタイルより上に行きたくて、働けなかった時の悔しさから頑張りすぎて、倒れました。実質の手取りみたいなものが30万以上あっても、障害年金はいつか打ち切られるし私の実力で稼いだお金ではないと思って、常にスキルアップや転職のことを考えていたし、全然満足できなかった。このままのメンタリティだと、もしも年収1000万を超えたとしてもお金がないと言っている人間になるなとようやく実感できたのは最近のことです。
健康で文化的な最低限度の生活って、なんなんでしょう。私は今、月に14万ほどで生活をしていて、服も大好きだったコスメもあまり買えずに、浪費時代に買ったリップを大事に大事に使っているような経済状況です。でも、労働をしていないからストレスもあまり溜まらず、金はないけど時間は有り余っているので、欲しいものは買うんじゃなくて自分で作ればいいじゃんというコペルニクス的転回を果たしました。これは双極性障害の大先輩である坂口恭平さんに倣ったもので、生活のレベルを下げつつ自分のレベルを上げるとお金の悩みは圧倒的に減るという教えに従っています。実際、生活保護でお金がないとウィンドウショッピングも辛いものがありましたが、アイデアを盗んでやろうという生産者の目を持つと、3万くらいするお高い服もこれってどうやって作ってるんだろう!というワクワク感と共に見ることができます。ただ、ミシンを買う金と置く場所がないので、今の季節にぴったりな編み物を始めて、欲しいニットを自分で作り出す作戦を実行中です。また、高いレストランに行くお金がないので、自分でおしゃれで美味しいおつまみを大量に作って安いワインと共にいただき、これをお店で食べたら2人で8000円は余裕で超えるね!とかやっています。このマインドでいるようになってから、電車でハイセンスで羽ぶりが良さそうなガールを見ても悲しくなくなりました。月のお小遣いが1万円くらいでも、図書館を上手に使ったり、友達に頼んでご飯は家飲みにしてもらったり、やりようはあります。ぶっちゃけ、働いてた時より文化的ではあります。
私が常に欲望を駆り立てられる都市に住んでいるからかもしれないですが、東京のいくらお金があっても遊び尽くせない感は手取り30万どころじゃ太刀打ちできないものがあり、おそらく年収1000万になっても上には上がいて、なんで私の稼ぎだと豪華客船クルーズに乗れないんだろうとか言い出しかねないです。
私は、生活保護最高!働くのって馬鹿らしいよね!と言いたいわけでは全くありません。生活保護はお金の代わりに時間が与えられている制度ではありますが、社会性が失われます。闘病のための膨大な時間と孤独には無駄な人生の問答を繰り広げる機会が山ほどありますし、他人の役に立っている実感が全くなく、非常に辛いです。ヒロアカのアーマードオールマイトが他人の役に立てて嬉しいと言っていたシーンで号泣したくらい、私も人の役に立ちたいと思っています。働かずに社会と繋がる方法は、ボランティアや地域社会の催しに行くなどがありますが、普段何してるの?と聞かれるのが嫌で、一歩踏み出せません。新しいコミュニティにも、私は怖くて行けません。生存が保証されているけれどもそれ以外は自己責任であるのが生活保護で、私は運良くあけっぴろげな性格だったから友達に現状を伝えられ、完全な孤立に陥らずに済んでいるだけで、知人の知人には受給者になったことが苦しくて生活保護を飛んだ人もいます。行方不明です。
常にやりたいことと自分の現状との間でキャパシティを広げようともがいているのが実際の労働者の姿だと思います。それを考えると、私はただの派遣社員だったけど、常にもがいていました。今だってもがいています。私が坂口さんに影響されて始めた、欲しいものは作っちゃおう大作戦だって、資本主義を降りるスローライフを提唱するような嫌味なところがあって、家庭菜園や狩猟にだって興味があるような私は完全にその術中にはまっています。自分で手作りするのは究極の丁寧な暮らしなわけで、生活保護で時間があるからできることでしかなく、時間の特権性があると言わざるを得ません。完全に社会から離れた私のような生活保護受給者や最低1000万は稼いでいるステータスのある作家である坂口恭平さん(本人が収入を明言しています)だからアクセスできる手作り生活でなければ、過酷な競争社会である資本主義から降りられないのは恐ろしい問題でしょう。
また、私は自分が傷つきたくないからこの生活を選んでいるのを自覚しています。労働市場では決して高く扱われることのない私の市場価値に、面と向かって向き合うのが怖い。障害者雇用でもおそらく雑用くらいしか満足に受かる仕事はないでしょう。それは、障害者であることをいいことに資本主義の競争市場から逃げていると言われても仕方ないと思います。だから自分が主体的に向き合える生産者に憧れて、Youtubeを見ながら巾着を編んでいるのです。
文化的に生きるなら時間が必要で、わたしのちっぽけな頭では時間とお金を一挙両得する方法は思いつきません。今の生活の問題点や特権性は重々承知しつつ、電車の中で可愛い女の子を見ながら泣くのはもうたくさんです。競争原理から本当の意味で離れられる人間など存在せず、限界を迎えている資本主義とやっていくしかないのでしょう。私も、この手作りを至高とする丁寧な生活をずっとやっていけるとは思えません。いい塩梅の労働と、コミュニケーションを模索しながら、お金と時間の制約の中で自分のキャパシティを広げようともがき続けることを目標としていますが、あまりいい結論ではないかもしれません。結局、どれだけ「丁寧な生活」に憧れても、資本主義が提示する理想に心揺さぶられることは避けられないし、完全にそれを手放すのは現実的ではないでしょう。資本主義のルールは嫌だと言いつつ完全に降りることもしたくない、中途半端な自分がほとほと嫌になりますが、たぶんこれが年収1000万あっても足りないと思った、弱者らしからぬ自分の欲深さなのだと思います。
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