ひとりで食べるハンバーグ#サイゼ文学賞
子どもが3歳になるときに仕事復帰して約19年。
その間に転職を3回経験した。
言うまでもなく、会社の雰囲気はそれぞれ違った。
飲み会が多かったり、連れ立ってランチに行ったりと
同僚との距離が近いところもあれば
飲み会など全く無し、勿論、忘年会新年会も無しのところもあった。
私にはプライベートにあまり干渉されない会社が居心地がいいと感じた。
大学生の頃に想像していたのは
お財布を握り締めて同僚2.3人と連れ立ってランチに行く姿。
そう、CanCamの一か月着回しコーデに出てくるような女の子たち。
なのに、入社した会社はお昼休みは交代で取る。
基本的にひとりで過ごすことがほとんどだ。
そうだよね、あれは雑誌の中の世界で現実は地味。
人も疎らな休憩室で
ひとりコンビニのお弁当のハンバーグを突きながら考えた。
あれから約20年経ち
そんなことを考えていた、あの頃の私はもういない。
雑談程度の会話はしても深い話はしない。
一緒にランチもあまり行かない方がいいと分かった。
だから、基本お昼休みもひとりで行動する。
買い物やATMに寄ったりするのも気楽にできる。
ひとりで過ごすことに何の抵抗も感じなくなった。
ひとり=ぼっち、と嘲笑の対象で使われることもあるけれど
それに捉われていたら、楽しいことも逃してしまいそうだ。
例えば、行きたいライブがあったとする。
ひとりは何となく嫌だとか恥ずかしいと気にして
誰かを誘おうにも、同じ趣味嗜好の人と日程が合うとも限らない。
そうこうしている内に、チケットが完売してしまったら。
だから、ひとりは恥ずかしいという考えが好きではない。
会場に行くと、ひとりで来ている人も結構いる。
缶ビールを片手に周りを気にせず
音楽に没頭できる時間がどんなに贅沢なものか
ひとりが恥ずかしいと考える人には到底理解できないことだろう。
打ち上げと称した飲み会に参加しようものなら
飲み会がライブの記憶を上書きしてしまう。
それが、どうしても許せない。
そんな考えの人もいると流して欲しい。
雑誌の出版や映画グッズの制作販売を
行っている会社で働いていたときのことだ。
会社近くのサイゼリヤでひとりでお昼ご飯を食べていた。
ある春休み映画がヒットしてクリアファイイルやキーホルダーなどの
商品の追加注文がたくさん来て、その発送の手伝いをしていた。
朝から段ボールに商品を詰める力作業を続けていたから
とてもお腹が空いていた。
ふと、窓際のテーブル席に視線を向けると
新入社員がハンバーグの写真を撮っていた。
そして、その写真をSNSにアップしたようだった。
たぶん、「昼休み、今日のランチです」のような一言を添えたのだろう。
その姿が娘の高校に入学したばりの姿と重なった。
「〇〇ちゃんは新しい高校でも楽しくやってるみたい。
それに比べたら、私は一緒にいる友だちはいるけれど
まだそんなに仲良くなれていないし・・・
私だけどんどん取り残されているような気がしてくる」
そう言って
違う高校に進学した友だちのインスタのストーリーを見せてくれた。
お弁当の時間に友だちとワイワイ賑やかに過ごしている投稿だった。
娘の落ち込み具合に、胸が少し痛んだ。
「そう見えるだけじゃないかな?
ほら、私、こんなに充実してますって、言っていないと
不安に押しつぶされそうになるから
楽しそうな写真をアップしているだけだと思うよ」
「そうかな・・・」
「そうだよ。新しい慣れない環境でみんな頑張っている。
不安なのは自分だけじゃないよ」
そんな会話をしたのを、今でもはっきりと思い出すことができる。
新入社員の子はデザイナーで入社した。
最初の1か月は
実際に商品を手に取り発送作業を通して商品知識を身に着ける。
たぶん、どこの会社でも同じだと思う。
だけど、内心思っているんじゃないかな?
デザイナーや出版社は華やかな雰囲気だと思ったのに
何と地味な作業をしているのだろうと。
そして20数年前の私に問いかける。
もし、あの時代にSNSがあったら、何と投稿した?
充実しています、と嘘の投稿をしただろう。
その嘘は、ただの嘘ではなく自分を鼓舞するための嘘。
その子がどんな投稿をしたのかは分からないけれど
ハンバーグを食べ終えて、お店を出る後ろ姿に
「頑張れ!」と心の中で応援を送った。
私の注文したハンバーグが運ばれて来た。
一口頬張ると、何てことのない普通のハンバーグなのに
疲れた体にデミグラスソースが滲み渡る気がした。