あちらとこちらの時間

うちのアパートの隣には、駐車場を挟んで、小さな公園がある。
そこには、背の高い街灯と時計、町内放送を流すスピーカーと並んで、1本の背の高い木が公園の入り口のあたりに立っている。

もう2年も住んでいるのに、この木の名前も知らない。ただ、いつも洗濯物を干そうと引き戸を開けると、向こうから背伸びをしてこちらを覗きこむように、顔を出しているのが見える。

帰り道、公園の前に近づくと、足音に合わせてクシャッ、クシャッと乾いた感触がする。
足元を見ると、私の手よりも大きな葉っぱが道を埋め尽くして、少し強くなってきた風がそれらを巻き上げていた。

きっと私がやってくるずっと前から彼らはそこにいて、それを当たり前のように受け入れてしまっていたから、この葉っぱがこんなに大きかったことも、こんなに色づいていたことも知らなかった。

人間のものさしから遠く離れたところでそれぞれの時間を過ごしていた葉っぱたちが、こうして地面に降りてくる。
すると、太陽の動きを24に分けたこちらの勝手な”時間”というものさしにも、移り変わりのおすそ分けをしてくれる。

そうやって、私たちは、冬を知っていく。

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