いいことがあった日
ユーロスペースで、「劇場」を見た。
そう、又吉直樹原作の映画。
SNSに、映画好きの友人が観に行って思わず泣いてしまったと投稿していて、しばらく気になっていた。チケットを調べたら明日が火曜日のサービスデーだったから一瞬躊躇ったけど、私の中では今日が映画を観る日になっていたような気がして、やっぱりチケットを買うことにした。
夕方の回にしたけどまだまだ外は暑い。前の予定が思いがけず押してしまって、慌てて渋谷駅から小走りで向かうと、着く頃にはもう汗だくだった。
さすがにマスクを一度取ってリセットしたくてトイレに寄ったら、開始時間に少し遅れてしまった。
少し前までは、マスクをしないと外も歩けないこんな世の中になるなんて、誰もが全く想像していなかった。最近はなかなか週末に遠出もできないので、またよく映画館に行くようになったけど、画面の向こうにはマスクをしなくても過ごせる世界があるのが、とても不思議に感じてる。
映画の舞台は、渋谷とか、下北とか、高円寺とか、よく知っている場所が多くて、
あ、マークシティの下のところね、
ここの劇場、友達の演劇見に行ったな、
この飲み屋街なつかしいなあ、とか、
そんなこと思いながらも、まるで私の知らない時代、もしくはパラレルワールドが描かれているような気分になっていた。
映画館を出ると、もう外は日も暮れていて、心なしか涼しくなっている。今日はこのまま家まで歩いて帰ろう、そう思って歩き出す。ラブホ街を抜けて、246の方へ抜けていく。夜の円山町は、プールの塩素と昔ながらの喫茶店が混じり合ったみたいな匂いがした。
最寄り駅のあたりまでたどり着くと、最初の涼しさはもうどこかへいって、すっかり汗だくに逆戻り。今日は誰にも会わないしと、思い切ってノースリーブを着てきていたのは、やっぱり正解だった。
大きな交差点までくると、自然と信号を渡っていた。そう、こっち側には銀だこがあるから。
主人公がたこ焼きを買って帰ったとき、同棲してる彼女のさきちゃんが、「今日は何かいいことあったの?」と言っていたのが頭にこびりついていた。彼はいいことがあると、いつもたこ焼きを買って帰るらしい。
なんだかそのやりとりが羨ましくて、私もたこ焼きを買って帰ったら、今日がいい1日になってくれるんじゃないかと思った。
銀だこの袋をぶら下げながら、残りの道のりを歩く。映画のシーンを思い返しながら、この間、脚本家の坂元裕二さんが珍しくテレビに出ていたときの話を思い出していた。
東京ラブストーリーで一世を風靡したけれど、その後しばらくは現場を離れていて、また最近いろんな話題のドラマで脚本を書いている。
そんな彼は、物語を最初から順番に書いていくらしい。ストーリーは「なんでもないシーンの積み重ね」なんだと。サビからつくってしまうと、そこにたどり着くまでのAメロやBメロがなんだか決められた道すじのようになってしまうのかもしれない。
書き始めるとあとは身を任せる感覚で、物語の登場人物が勝手にそれぞれ行動していくのを書き留めているようだと言っていたけれど、確かに彼の書くドラマは劇的な展開やサビではない、Bメロのワンフレーズの良さ、みたいなものが散りばめられているような気もして、なんだかその話がしっくりきた。
そういえば、少し前に流行っていたNetflixのドラマ、「愛の不時着」も最近見出したところだった。北朝鮮と韓国の話、という前提も全く知らなかったので、少しその展開を驚きながらも見続けている。
物資の少ない北朝鮮が舞台になっていることもあってか、コーヒーとか、アロマキャンドルとか、そういうなんでもないようなアイテムがドラマのワンシーンを彩っている。韓国ドラマ独特の甘い主題歌での盛り上げやラブコメっぽい演出はあるけれど、そこにも「なんでもないシーンの積み重ね」に共通するものを感じた。
誰にでも思い出はある。ふとしたとき記憶を思い返すのに、必ずしも劇的な演出は必要じゃない。なんでもないありきたりな物、色、匂い、音、そんなものがきっかけになって、その時の情景が鮮明に呼び起こされることも多い。視聴者の私たちも、自分の日々の暮らしの中からそのことを無意識のうちに知っているから、自然と、なんでもない映画のワンシーンを心に残して帰るのだろう。
たこ焼きも、アロマキャンドルも。
ささやかなひとつひとつが、日常をつくるし、物語をつくる。それをみんな、普段の生活でも同じようにやっているのだ。
久々のたこ焼きは最高に美味しくて、だけどひとりで6個全部食べてしまうのは少し寂しい気もした。
私の今日は、いい日になったかな。
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