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アリとキリギリスで宇宙に行く《共生社会と障害者雇用》
最近、閑静な住宅街に引っ越しをした。引越しの理由はいくつかあったが、夜に見上げた星空が綺麗だったのが決め手だった。
小学校1年生の時、最愛だった祖父が亡くなった。
「おじいちゃんは星になったんだよ」とありきたりな言葉で、父から慰めを受けながら顔に伝う雪と涙を払い、夜空を見上げたあの日が忘れられない。
この短文でエッセイかと判断されたあなたは、いつも素敵な文章を読まれているのでしょう。マカダミアナッツのクッキーと紅茶に合うようなエッセイがあったら、ぜひ教えてください。
今回は3次元アリの話と共生社会についての内容です。
3次元アリの話をご存知でしょうか。
宇宙兄弟の中では宇宙飛行士の野口さんが「なぜ人は宇宙に行くのか」と言う質問に対して、下記のように答えていました。引用はキャリア形成のサイトになっていますが、要約すると「私たちが直面する問題に対して、別の視点を見つけることで解決を目指すため」と言うことです。
直線にしか動けない“1次元アリ”は前に小石があると動けなくなる。前後左右の2次元空間しか動けない“2次元アリ”は、目の前に壁があるとそれを越えることができない。しかし壁の上に登るという勇気を持った“3次元”アリは、その壁を乗り越えて、新たな風景を見ることができる。つまり、今直面している問題は、「別の次元」から見ると、突破口が見つかることがある。行き詰まったら、別の視点から見ればよいのだ。
なぜ、この話と共生社会を繋げようかと思ったかというと、寝る前に「アリだけじゃなくね、、なんでキリギリスいないんだ」とふと疑問に感じたからです。
野口さんは最適な分かりやすい例えとして、アリを登場させているのは承知です。
ただ、私たちが暮らす社会は様々な種の生き物がいて成り立っているので、
今回はアリと相反することで有名なキリギリスにも参加してもらいましょう。
アリは身体は小さく、その小ささ故にどんなに高いところから落下しても空気抵抗を受け死んだりしないほどだそうです。また集団での生活も問題なく、地道に行えているようですね。
一方キリギリスは虫界の中では、大型で時には仲間も食べてしまう食いしん坊さんみたいですね。秋に聞かせてくれる音色は私たちの心をくすぐるほど魅力的ですし。
童話では冬に向けてアリは夏のうちに食料を蓄えて、キリギリスは遊び呆けていて、冬になってキリギリスは飢えてしまうと言う結末です。
ここで、アリとキリギリスが協力して、生きることでよりよく生きられる!互いの良さを認め合おう!なんて書いてしまうと、「よくあるネタね」と思われて悔しいので、もう少しお付き合いください。
アリとキリギリスで宇宙に行く、の結論は「お互いを上手く利用しよう」です。
協力することと、利用することは違います。協力とは1つの目的に向かって、心を合わせて努力をすること、利用とは自分が得をするように上手く使うことです。
昨今、共生社会を目指すと言う綺麗事が並べられるようになりました。
アリとキリギリスにも空想の中で「共生」を体験してもらおうと思います。
前置きが長くなりましたが、3次元アリとキリギリスのお話です。
1次元で小石を見つけたアリとキリギリス。アリの小さい体では、小石が大きな壁に見えて動くことができませんね。キリギリスは小石に前足を掛けて、ガラスのような綺麗な瞳で小石の先に道があることを見つけることができます。上下に移動できることに気が付き、アリとキリギリスは意気揚々と2次元への扉を開きます。
今度はキリギリスでも驚く巨大な壁に直面します、キリギリスは言います「アリなら何度落ちても、死なないだろう、アリが登ってくれよ。俺らは下でクッションになってるからさ。」
アリとキリギリスは3次元への挑戦を始めるのでした。
あなたがアリなら、壁を登りますか。もしくは、壁に登ることを断り、先に進もうとしたキリギリスが落下して死んだ時、その無惨な姿を見る覚悟はありますか。
生き物には特性があり、それを利用しなければ衰退が待っているのだと思います。
これは人間にも同じことが言えるでしょう。
共生社会とは、障害のある人とない人が具体的に接し関わりあう中で、全ての人の尊厳が守られる社会とされています。
今は、障害がない人が障害がある人に向けて、汗水もしくは涙を流しながら働いたお金のうちから、生活を保障するために1部のお金を分け与えています。
しかし、障害がある人が障害のない人に何かしてくれたという経験をした人は少ないのではないでしょうか。あくまでも経験数の話で、ここでは良し悪しやその価値については問いません。
共に生きるのであれば、障害がある人の可能性を利用するべきだと考えています。
どんなに小さなことでも構いません。ただ、障害がない人が障害のある人を受け入れるだけではなく、障害がある人自身も可能性を探り、自らの価値を創造していくのです。
障害がない人がそうするように、守られるだけでなく、もっと動物の本能を働かせて貪欲に生きてほしいと思っています。
様々な社会問題に苛まれ、犠牲を受ける私たちが1つの目的に向かって手を取りあうなんて無理です。日々の暮らしで手一杯です。
その現状を嘆いてばかりでは、暗い未来しかありません。
アリもキリギリスも自然の中で壁に直面するのですから、人間が見つける壁は互いを利用しなければ、きっと突破できるはずがないのです。
たまには夜空を眺めましょう。月の穏やかな光に癒されたら、翌る日の太陽の暖かさに包まれながら、また壁へと向かいましょう。
いつだって宇宙は私たちに力を与えてくれるに違いありません。