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結局、相続放棄しませんでした。

以前んい、こう言ういき時を書きました。その後の報告です。

そう、孤独死を遂げてしまった、ほぼ会ったことのない父親の相続問題です。

結論から言うと、相続放棄の手続きをしません江下。書類も全部揃えて、封書の封もして、発送するだけだったのですが。それができませんでした。

なぜ?

うーん正直自分でもわかりません。人が死ぬ時の想像をしてみると、死ぬ時に何を考えるかな?と言うのを想像しました。そこには、多分、今までの人生とか、思い出とか、起こったことなんかが、いわゆる走馬灯のように思い出せるのでは?と思いました。そこに、たった一人の息子である自分を思い出しただろうか?とか母親とはあの世で会えたのだろうか?とかそういうノスタルジックな事を考えました。
自分も糖尿からくる網膜症などで仕事をやめざるを得ない状況で、「家族」と言うものに関してすごく悩んでる時期でもあったのもありました。それはなぜか?それはカミさんとの関係がかなり冷めきったというか、離れてしまったからです。前にも書きましたが、発症して以来、自分はポンコツ扱いでいつでも機嫌が悪く、話もしなくなり、大事な話すらしなくなりました。そう思ったら、今後の自分の人生で、もっと大きな病気、たとえば半身不随、痴呆症など想像できる限り、家族に迷惑を描けるようになったらどうなるんだろう?と思ってしまい、今回の父親の最期の話をケアマネさんから聞いた時に、この人の人生って一体何だったんだろう?いい人生だったのかな?と考えるようになりました。そして、その父親からの「念」が届いたような気がしてならなかったのです。色々と迷いました。早く手続きしてしまおう。でないと負債がなんかあった時に相続してしまうと、未来永劫家族に迷惑をかけしまう。と考えました。でもそう思えば思うほど想像が膨らんでしまい躊躇するようになりました。

僕は母子家庭で育ち、小さい時から父親のいない子供として育ち、学校の名前リスのにも父親の部分が空欄でした。でもそれを恥ずかしいとか、ネガティフに考えることはありませんでした。

父親も糖尿で透析を受けていて目もあまり見えなかったという話を聞きました。今の自分と同じだと思うとやっぱり遺伝ってなんかすごいな。と思いました。自分の手や、体のいろんなところをみると、なんかそういう父親の事を思ってしまい、なんか無責任に「はい、放棄!」とはできなかったのです。でもいまだによくわからない感情です。

家族、自分、病気と向き合う2024年ですね。辰年はやっぱり好きではありません。

まとめ

さっと書き留めてみましたが、やっぱり家族のありかた、自分の性格などを本当に考える時間が多くなりました。そして残された人生があるとして、そのあ間にやっておかないといけない事を改めて考えるようになりました。子供に莫大な遺産を残せるわけではないので残す家族にはせめて迷惑をかけない死に方しないといけない。負債は残さない。そして一人で死ぬ。と言う事を決めました。特に看取ってほしいと思いませんし、お墓も要りません。その辺りに捨ててもらうかよかったら海に散骨してくれるか?そんな感じで良いのです。

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さっと

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Sean Mason
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