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2025年、新しい年に添えて

2024年。これまでにない難儀な年でした。元々辰年はあまりいい事がないとおいう意識もありました。5月に、糖尿病網膜症・黄斑浮腫により、左目で出血があり、左目がほぼ見えない状況になりました。レーザーもやりました、眼内注射もやりましたhが、全く効果がありませんでした。あ、レーザーは現状を維持するため、悪化を止めるための処置でした。5ヶ月様子を見ましたが、状況は好転せず、年末に手術をしました。いわゆる、「硝子体手術」ってヤツですね。この間、身体もそうですが、心もとても痛みました。それまでやっていた仕事も辞めざるを得ない状況でした。そして目の中の出血があったのが、運転免許証を書き換えに行く日でした。そこから6ヶ月経過しましたので免許も失効してしまいました。今後また免許を1から取らないといけません。普通自動車免許(二種免許も含めて)、自動二輪の免許も無くなってしまいました。これは大きな損失ですね。仕事もそうですが。それもそうですが、心も悲しいことだらけでした。ここには本当は記したくなかったのですが、僕がなんらかで死んでしまった時の布石でもあります。

一番心のより所だった、妻からのサポートが全くなかった。

普段の生活が荒れていたのであきれていたのか、目が見えなくなったと話をした時に驚きもされず、心配もされていない、全く興味のなさそうな反応でした。当然、仕事もできないので休んでいました。1ヶ月休んでいると態度もいつも機嫌が悪く、家にいるのを見るとため息をつかれたり、子供にキツい事を言うようになりました。その頃から自分は傷病手当を申請していたのと、収入がそれなりにあったので、6割支給でもそれなりの支給額でしたのでなんとかやれました。今は、横浜まで通いですが、外資系のIT企業で働いているのですが、100%オフィスワークなので通勤さえなんとかなればとても働きやすい職場です。なので傷病手当の支給も終わりまして、稼ぎも少なくなりましたが、無職ではないのでなんとか食い繋いでいる感じです。子供も育ち盛りなので大変です。本当に大変です。週末、在宅ワークでもできたらと思ってます。どなたかいい仕事あったらご紹介ください(笑)
そして、この間も妻から体調の事とか、目の調子とか一度も聞かれた事がありません。会話もほぼしなくなりました。長い人生の中でこんな事もあるのかもしませんが、あと、やっぱり子供に辛くあたるのと、その時に「私が独人でやってる」とか口癖のように言うようになりました。でも現状は家賃、電気代、ガス代、インターネット代、学費などは僕が100%払っています。いうなら、「僕が独りで払っている」です。先日も長男の塾の事で夜出かける場面があったのですが、手術後でしたので、特に夜の外出は厳しかったのですが、それをあらかじめ話しているにも関わらず、スタスタ先に先に歩いて行き怖くて全くついて行けませんでした。100メートルくらい距離ができてるにも関わらず後ろさえ振り向かない有様。流石にそれは直接は言いませんでしたが、LINEでその時の状況や、これまでの事をしたためました。かなりの長文でしたので読むのをめんどくさいのもあるとは思いますが、それに既読がつくまで一週間以上かかりましたよ。年末の年末です。ま、その後も変わらないので読んではいないと思います。あと、こんな感じなので不安になりました。もしもこれが今後、自分が要介護状態になったら?と言う事です。間違いなく、ジジ捨て山行きですよね?(笑)ものすごく不安になりました。なので、そうなる前に自分は家を出て独りでどこかで生きていくと強く思いました。子供の事があるのでいまは離婚とかは考えてないですが、そう遠くないタイミングでそっちも考えて行こうと思っています。彼女に負担をし要らないように。

なんか恨み節になってきたので、この位にして。

2025年に向けてでした。

今年は感謝を忘れず、イライラせず、目を治す事を大のモットーとしながら生活していこうと思っています。そして、今年の秋くらいまでにはずっと思っていた、社会的な起業を目標にしていこうと思っています。それが今年のおおまかな希望です。そして、海外に住みながらインターネットを使って仕事ができたらと思っています。年ももう今年は57歳になります。なにかをやるには最後のチャンスだと思っています。事業内容としては、うちの子供たちを見てると僕らが中学生の時と同じように、苦手意識が強く、英語は苦手。という意識がまだまだ強いようです。英語は話せないより話せた方がいいのでそういう、地域に根ざし、英語を学んで、それを社会に活かしていけるような事業をやりたいと思っています。僕は母子家庭で育ち、行きたかった留学もリアルタイムでできませんでした。特に今の日本では、そう言う経験すらできないのが現状だと思います。僕は、行きたいと思ったら海外で学んだり、働いたりできるスキームを作れたら?と思っています。これは長い間考えていた事ですので現実的に落とし込めたらと思っています。こちらはまた別の機会に書きたいと思っています。

まとめ

去年からずっとなんかの歯車が狂ったら終わりといえるくらいのタイトロープを渡ってる状況で2025年を迎えてしまいました。でも感謝の気持ちを忘れずに前に進んでいきたいと思っています。去年は8年ぶりに故郷へ帰り、母親と、おばあちゃんのお墓参りを次男としてきました。それで満足してるわけでは無いですが、先祖を敬う事はとても大事だと思っています。去年はそんな実の父も孤独の中でこの世を去ったので、どこに供養されてるのかはわかりませんが、神社や、お寺に通う事で供養していこうと思いました。だって自分がいるのは両親がいなきゃ存在しなかったので。やっぱり今ここにいるのは感謝していきたいと思っています。


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Sean Mason
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