パナマ運河訪問記(世紀の工作物、現地で生きる日本の技術)
1914年に当時の米国先端技術により開通した、中米パナマのパナマ運河。南米マゼラン海峡を通ることなく、大西洋と太平洋を24時間で航行可能にした20世紀の工作物である。元々フランス人技師レセップスがスエズ運河を成功裡に収めた勢いでパナマに乗り込むも、現地のジャングルと蚊、そしてマラリアに悩まされ断念。これを米国が引継ぎ・完成させたもの。1999年までは米国主導により運用されてきたが2000年からはパナマ政府に全ての権限が委譲され、以来パナマ政府監督のもとに運用されている。
パナマ運河を通峡できる船舶は「パナマックス」と呼ばれ、横幅が32メートルに制限されている。パナマ運河で一番狭い箇所ではタグボートの力では足りないため、日本製の曳船用機関車(上記写真をご参照ください。)がワイヤーで船舶をけん引する形で少しずつ前進させる。この機関車は運河の両サイドに敷かれたレール上を通行するようになっている。遠い地球の裏側で日本の技術が生かされ、称賛されることは日本人として誇らしい限りです。
(曳船用機関車の詳細は下記リンクをご覧ください) https://www.toyodenki.co.jp/results/pdf/s10553b.pdf
パナマ運河の通峡料金は、1トン当たり1.39米ドルといわれ平均約54000米ドル。この560万円を高いと思うか、安いと思うか?マゼラン海峡まで様々なリスクを負いつつ航行することを考慮に入れ船主やマネージング会社が通峡の判断を下す。ただし、通峡の順番は決して「早い者勝ち」ではなく、これまで通峡した実績及びその他政治力、資金力により簡単に順番が入れ替わるところがパナマらしい。場合によっては「待ちぼうけ」の憂き目を見ることも。