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夢見人(ゆめみんちゅ)と多様性と傲慢

 
はじめに

 こんにちは。はんこです。夢女(以下性別年齢を特に制限しない「夢見人(ゆめみんちゅ)」として表記)です。

 夢見人としての自分が多重人格であることをまとめたら思いがけず衆目に触れることになりました

これです

ツイート

 

 普段インターネットの辺境で生きているので驚くばかりです。上記ツイートで使用したイラストは全て「いらすとや」さんからお借り致しました。上記ツイート画像を商用利用することはございません。一方的なものではありますが、この場で「いらすとや」さんに御礼申し上げます。ありがとうございました。

 私は、保育園のお昼寝時間からキャラクターとの恋愛に意識を飛ばしていたような人間です。生まれてこのかた夢見人で、ついでに言えば現在は夢見人の中では少し珍しい立ち位置を取っているのではないかと考えています。そのやや集団から外れた人間の考えが大きな注目を集めたので、折角ですから、私はんこがどのような夢見人であるかということと、夢小説・夢創作(以下夢創作)をどう考えているか、そのことを書き留めておこうと思います。

 前述したように、これははんこという個人の話であり、この世の全ての夢見人がこうであるとも、かくあるべしという話でもありません。そもそも「夢とは何か?」というコンセンサスすらない状態でこれを論じるのはあまり実りがあるものではありませんが、まあ「こういう変な動物もいる」という一つの例を残せたらと思います。



キャラクター至上主義

 私のスタンスは「キャラクター至上主義」です。

 夢小説・夢創作(注:以下夢創作)の中心と考えられている、主軸に据えられているのは「キャラクターと『自分』が恋愛関係になる」ことだと思います。一般論の話です。

 私は(そうなったのはここ数年の話ですが)、キャラクターと恋愛関係になることを必ずしも望みません。別のキャラクター(男性女性ロボット問わず)とくっついてくれてもいいです。

 私のことを知っても知らなくてもいいし、私のあずかり知らぬところで一人で死んでもらってもいいです。とにかく、「そのキャラクターが幸せならそれでいい」とします。私が「良い」と判断する基準は、私がキャラクターとくっつけるか、私が幸せになれるか、ではなく好きなキャラクターがどういう結末になるか、という所に置かれています。これを本稿では「キャラクター至上主義」と呼びます。

 この場合、キャラクターに対する思いの中心は、「キャラクターと関わりたい」というよりも、キャラクター単体が好きなことに端を発した「このキャラクターの色々な側面が見たい」になってきます。

 恋人が出来たらどんな顔をするのか、どんなことで怒るのか、悲しむのか、何が好きか、どういう時どういう表情をするか。それを観測しようと思った場合、一番都合よく使えるのが「自分」なんですね。理想の恋人に、母に、父に、上司に、部下に、都合よく改変していいフリー素材として「自分」を作り、キャラクターにぶつけて、反応を見て喜ぶわけです。オリジナルキャラクターを作りキャラクターに当てるタイプの夢見人の方もいらっしゃいますが、はんこの場合作り出したのが「年齢100000歳巨乳褐色美女でアカシックレコードの全てを理解しているダークエルフ」とかでも若干はんこの「自我」が入るのでオリジナルキャラクターとは少し違う気がします。

 なんだかややこしい話をしましたが、「キャラクターと関わりたい私」も依然として存在しているので隙あれば恋人になりたいし重めの感情をぶつけられたいし私のことがキャラクターの心に残る一生の傷になってほしい最悪のはんこもいます。上げたツイート画像のとおり色々な私がいるわけですね。

 はんこは、上記の通り、カメレオンよろしく「キャラクターに合わせて変わるタイプ」の夢見人で、その主目的は「キャラクターをより深く知りたい」ということですね。深く知った結果結婚することになっても何の支障もないわけですが。

 夢創作、という時、一番きっかけになりやすいものが「このキャラクターが好きだ、このキャラクターと恋したい」なだけで、はんことはまた違う考えを持つ夢見人もいます。キャラクターと一切関わりたくなかったり絶対に認知されたくない人、キャラクターと自分の関係性を固定する人、様々です。夢見人には多様性があるなあということを少しでも知っていただけたら、ツンドラ地帯に住んでいるはんこは嬉しく思います(夢見人バイオーム)。


傲慢

 何べんも申し上げていますが、ここに書いているのはあくまではんこが自分に言い聞かせている考えで、他人に「かくあるべし」と強制したり、他人を非難するものではありません。

 さて、つらつら夢見人としての自分について語りましたが、次に、「夢創作をはんこはどう思っているか」を語ろうと思います。

はんこは、夢創作、というよりそもそも二次創作というものは、とても「傲慢なもの」だと思っています。

 誰かが考えた物語、世界に「自分」を割り込ませる。これは自己投影した自分を話に入れ込む、というだけでなく、オリジナルキャラクターを入れる、キャラクターとキャラクターが任意の関係になるよう(カップリングの)表現をする、原作で描かれていない部分を想像し描く、つまりは原作者以外の「はんこ」の手を入れることを指しています。

 自分以外の他人の人生を、それが二次元であれ三次元であれ、自分の思い通りに歪めるということは、とてつもなく傲慢なことだとはんこは思います。他人にこの考えを当てはめる気はさらさらなく、この思いが通用する範囲はあくまではんこ自身のみ、はんこがはんこに対して思っていることです。

 これは「キャラクターが幸せになるから」とか「明らかにこの二人は愛し合ってるから」とかそういう話ではないと思うんですね。例えば、仲間を守って満足して死んだキャラクターに夢主人公をぶつけて生存させたい、という気持ちが湧きます。ですが、そこでそのキャラクターを生かすのは、原作での彼の覚悟とか、生き様を否定するものにもなりかねないとはんこは思います。

 「キャラクターはこのキャラクターの言葉で救われたんだ」というカップリングの話を書いても、本当にそのキャラクターがそんなこと思うかどうかはそのキャラクターにしか分からないことで、それを第三者のはんこが決めてしまうのはとてつもないことだと私は思っています。

 「このキャラクターならきっとこう言うだろう、こうするだろう」とどれだけ考えてそれを記したところで、それは結局はんこが考えたことであって、キャラクターが考えたことではないわけです。

 その者の行き先を決められるのは、その者だけだと私は考えます。ですから、そこに、愛があれ性欲があれ、憐れみがあれ祈りがあれ、「誰かの行き先を勝手に書き換えている」という自覚を持っておいた方がいいよなあ、とはんこは二次創作をするはんこに課しています。


救い

 でもそんなこと言ったってね、好きなキャラクターには幸せでいて欲しいんですよね。ままならないですね。
 
 以上のように夢創作に限らず、己が著す二次創作の全てを「傲慢なもの」として捉えているはんこは、せめてキャラクターに対しては誠実であろうと努力しています。これまでの論を踏まえれば、そもそも二次創作という暴力でキャラクター・原作を侵害している上で「誠実であろうとしている!」というのはとてつもなくグロテスクな構造なんですが。

 あんまりにもあんまりな道をたどったキャラクターを救ってやりたい、幸せになってほしいと思うが、傍から見て悲惨な道を辿っていても自分の道筋に満足しているキャラクターもいます。はんこはそのキャラクターの思いを無視して、子供のころにキャラクターが出会った優しいお姉さんになりキャラクターにお腹いっぱいシチューを食べさせたり、お見合い仲介人はんこになりキャラクターが好きだと伝えられないまま別れてしまったほかのキャラクターと娶わせてHappily Ever After ……にしたりします。

 逆に幸せに何の不自由もなく明るく生きていたキャラクターを嫉妬に狂わせたり、三角関係だった幼馴染のうち二人を結婚させたうえで残りのもう一人のキャラクターをスピーチに抜擢し、バウムクーヘンを持って帰らせて家に入った直後に玄関の扉に背中をずるずるつけて悲しませたりします。「俺は戦いの中で死ぬ」と気高く言ったキャラクターを後ろからバールのようなもので殴り昏倒させ、故郷行きの最終列車に泣きながらぶち込んだりもします。はんこは傲慢ですね。

 分かってるならやるな、一人で部屋の隅で原作読んで震えていろ、というのは本当にもっともなお言葉ですが、それでも著さずにはいられない思いがあったりしてはんこは時折筆を取っています。キャラクターに誠実である、ということについて、現状「公式からやるなと言われたらやらない」「傲慢である自覚を持つ」程度の筋しか通せていないのが現状です。とは言え、考えるのを止めるのも違うと思いますので、今日も私の中で様々な人格が殴り合っているわけですね。はんこは傲慢ですね。


おわりに

 書いてきたようなことをウガウガ考えながらはんこは夢見人をしています。繰り返しになりますが、誰かを称賛・非難するために書いたわけでも、「夢見人 be ambitious」とか思いながら書いたわけでもありません。単なる私「はんこ」の生態記録です。こういうことを考えている印鑑もいるというだけで、何を押し付けたりするつもりはないです。公開する以上、自分に当てはめて考える方が出るのは当たり前だと思いますが、あくまで「はんこははんこに対しそう思っている」だけなので、どうか気にしないでください。はが多いですね。

 意見を記す、ということの重要性は、自分の意見が受け入れられるかどうかではなく、「こんなこと考えるやつもいるんだなあ」という意見の多様性を保つところにあるとはんこは考えています。ので、別にはんこの意見がどうこう議論していただく必要はなく、お読みになったら「ふーん」て思って頂けたらそれで充分です。とは言え、書いたからには面白く読んで頂けるものになっていたら嬉しいなあとは思います。

 ここまで読んでいただきありがとうございました。夢見人のみなさんも、夢見人でないみなさんも、いいオタクライフが送れますよう。

おまけ:文中に何「はんこ」出て来たでしょう?

(2021/01/25 文責:はんこちゃん)







答え→(35はんこ 文責部分除く)


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