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掌編集『球体の動物園』 ゴリラVSイメージ

あらすじ
一話完結の掌編集。
ここに出てくる動物は、たぶんあなたか、あなたの隣にいる人に似ている。

『ゴリラVSイメージ』男二人に襲われそうになった私を助けてくれたのはゴリラだった。
『かばうらら』檻から出てきたかばを愛する私の一日。
『エミューの笑み』屋上から飛び降りようとしていたエミューに声をかけた俺は。
『たぬきおやじ』庭に出るたぬきは、ときどき亡くなった夫に化ける。
『いそげスローロリス』さっさと動けないスローロリスにも、できる仕事があった。 
ようこそ、球体の動物園へ。


「おい、ねぇちゃん、俺たちと遊ぼうぜ」
 今どき珍しい声の掛け方をされたとき、私の頭の中を巡ったのは『ひとり暮らしの女性が、近所のコンビニでお弁当をひとつだけ買うのは危険です』という、昔どこかで読んだ忠告文だった。
 今のこの状況のように、コンビニから跡をつけられたりするらしい。
「ねぇちゃん、可愛い顔してるな。仕事帰り? カラオケボックスでも行かない?」
「結構です」
「ふん、カラオケじゃなくてホテルでもいいぜ」
 男二人は、私の左右に立った。コンビニの袋をぶら下げてる私の右腕をひとりが掴む。
「やめてください」
「声も可愛いな。やめねぇよ」
 左の男が私の腰に手を回した。
 お弁当ひとつとお茶のペットボトルが一本入っている袋が、私の手を離れ、道路に転がった。
 お弁当がつぶれるわ。右の男に腕を引っ張られ、左の男に腰を密着されながら、私はお弁当の心配をする。
「ねぇちゃん、あっちの空き地で、気持ちいいこと、やる?」
 二人が下卑た笑い声をあげた。
 そのとき、
「僕の彼女に、何か用?」
 暗闇の向こうから声がした。ゆっくりとした物言いだった。低く大きな声がアスファルトを揺らした気がした。
「あん?」
 男たちが声のした方に顔を向けた。
 大きな黒い影がゆっくりと近づいてくる。
 ゴリラだった。真っ黒の毛むくじゃらのゴリラが私たちの前に立った。
「僕の彼女に、何か用?」
 ゴリラはまた同じことを言う。
 男二人は顔を見合わせた。そして、私の身体から離れた。
「あ、いや、コンビニの袋を落としたみたいだから、拾ってあげようと思って」
 ひとりが慌てて道端の袋を取り上げ、私に押し付けるように渡すと、ゴリラが来た方向とは反対の方に、二人揃って走って逃げた。

「ありがとうございました。助かりました」
 私は、初めて会ったゴリラにお礼を言った。
 ゴリラは、道に座り込んでいる。見ると、どうやら震えているようだ。
「あの、ゴリラさん? 大丈夫ですか?」
 ゴリラが顔を上げた。瞳が落ち着きなく左右に揺れ動く。唇が震えている。
「あぁ、ごめん。怖すぎて腰が抜けた」
「腰が? ゴリラさん、あの男たちが怖かったのですか?」
「うん、相手は二人もいたから」
 ゴリラはふらふらと立ち上がった。前肢の拳を握って地面につける。そして大きな深呼吸をした。
「ゴリラのイメージって、強い、だろ? 僕はこのイメージにずいぶんと苦しめられた。でも、今みたいにイメージを利用することもあるんだ。イメージだけで勝つために」
「本当は、弱い、ですか?」
「僕はね。僕は、ゴリラのくせに弱いんだ」
 
 ゴリラは私を送って行くと言った。弱いくせに。人のゴリラに対する勝手なイメージは『強い』だから、夜道では用心棒になれると言い張った。
「では、マンションの入り口まで、よろしくお願いします」
 私はゴリラの言葉に甘えて、送ってもらうことにした。
 歩きながら話をした。ゴリラはおしゃべりだった。
「小さなときからずっとね、ゴリラのくせに、って言われた。子供の頃はもっと痩せてガリガリでね。身体は筋トレで大きくしたけど、泣き虫なのと怖がりなのは、変わらない」
 ゴリラの自分語りに耳を傾けながら、私は、私の中でゴリラへの興味がどんどん膨らんでいくのを感じた。もっと知りたい。
 だから、ゴリラを脅した。
「今、帰ると、さっきの二人組が仲間を呼んで待ち伏せしている可能性が高いですね。ゴリラさん、あなたはボコボコに殴られるかもしれませんよ」
 ゴリラはふらつき、私の肩に寄りかかり、また震え始めた。私はそれを確かめてから、ゴリラの目を覗きこんで、耳元でささやいた。
「だから、私の部屋で、少し休んでいきませんか?」

「ゴリラさん、お腹、空いていますか?」
 つぶれたコンビニ弁当の中身を二つのお皿に分けてゴリラの前に置いた。
「僕、肉は駄目なんだ」
 ゴリラは、鳥の唐揚げを、箸で私の皿に移動した。
「あら、草食?」
 バナナがあったことを思い出して、私はキッチンから持ってきたバナナを一本、ゴリラの前に置いた。
「あぁ、ゴリラに黄色いバナナっていうのもイメージだね。僕たちは、あまり黄色いバナナを食べないんだ。でも、いただきます」
 ゴリラはそう言って、バナナと弁当に入っていた野菜の煮物を食べた。
 食べながら、ゴリラは私の部屋の壁を見る。そこにずらりと並んだ賞状。
「この賞状は? えっ? 空手?」
「そうなんです。私、空手を子供の頃からやっているの。ジークンドーも少し」
 ゴリラがじっと私を見る。その目を見返した。
「ね、ゴリラさん、イメージとか、先入観って、やっかいですよね」
 私は首を斜め四十五度に傾けて微笑んだ。こうすると、はかなげで守りたくなるとよく言われる。空手の黒帯を持つ私の見た目は、かすみ草、らしい。
「ゴリラさん、性別とか職業とか見た目とか、そんなものからくる先入観を落としたら、目からうろこも落ちるんですよね、そう思いません?」
 鳥の唐揚げを口の中に放り込んで、冷蔵庫から缶ビールを持ってきて飲む。ゴリラはアルコールも駄目だそうだ。
「えーと、もしかしてキミ、さっきの二人組、怖くなかったの?」
 ゴリラが真剣な顔で私を見つめる。
「あらぁ、怖かったわよ。脚がガクガク震えてたわ」
 ゴリラが眉をひそめた。
「ふふ、嘘です。あの二人は酔っていたし隙だらけだったわ。私は、あの二人より、つぶれたお弁当の方が気になってたの」
 ゴリラがぽかんと口を開けた。ぽかん。
 小さな瞳。広い肩幅。毛むくじゃらのがっしりとした腕。発達した胸筋。
 私はゴリラの全身を舐めるように見つめながら缶ビールを飲み干した。
「私は肉食で強いのよ」
 ゴリラに近づいて、人差し指でゴリラの頬をすっと撫でた。
「イメージと違うことに驚き好意を持つ。それをギャップ萌えって言うそうね。ということは、今、私もゴリラさんもお互いに、ギャップ萌えしているってことかしら?」
 ビールがちょうど良い具合に私の身体中を駆け巡る。
 ゴリラのおしゃべりが止まってしまったけど、まぁ、しかたがない。
「ねぇ、ゴリラさん、今日、泊まっていく?」
 ゴリラの口が『わ』と言った。声は出ていない。『わ』の口が愛らしい。『わ』のまま動かない。
 私は立ち上がってゴリラの膝の上に移動した。ゴリラがおずおずと私を抱きしめる。力加減に注意した優しい抱き方。
 私は目を閉じ、心の中でつぶやいた。
『コンビニでひとり分のお弁当を買うと、まわりまわって、ゴリラがついてきます』
 これからベッドの上で、ゴリラはゴリラを、私はかすみ草を、演じる。たぶん。
 


一話完結なので、どこからでもお読みいただけます。全五話です。


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