岩崎八重子の大悟大徹:原田祖岳老師への私信


第一信 1935年12月23日
 先日は御多忙のところをわざわざ御出で頂きまして誠に有難う存じました。御風邪くれぐれも御大切にあそばしませ。
 さて昨夜独参の時に「まだはっきりしまい」の老師の御言葉に何となく今一工夫を要する気が致しました。が夜中ふと眼がさめた時、一層ハッキリと気が付き、嬉しくて嬉しくて嬉しくてただただ合掌するのみ。
 なるほど悟りに深浅あることがわかりました。最早老師と難も眼中になくなりました。この有難さ、うれしさは筆舌に尽すことはできません。悟りが見える問は真の悟りでないということものみ込めました。
 老師の御蔭様でようやく高恩の万分の一に御報いできたと、何ともいえない感謝に胸は一杯でございます。書くことも不能、言うべきことも、思うこともないとでも形容したらよいのでございましょうか。老師には御わかり下さり御喜び頂けますことと、早速ペンをとりました。
 眼が開けてみれば他なし。衆生無辺誓願度の志しは起してならぬと云われても、起きるのが当然。ここにおいて諸仏老師の有難さが身にしみ、ますます自ら慚愧ざんぎに絶えないと同時に、ひいては迷いの習慣を去り、人格を練ることにいよいよつとめねばならぬと決心致しました。
 この心中は老師に申し上げるのみ、そつじとしてきくと大ぼら吹きにきこえ、他を誤らせることになるといけないと存じております。とてもとてもこのような時は今生に期待しておりませんでしたが、まったく老師のお蔭様とただただ合掌しております。
 では御寒さ御いといあそばしませ。二十一日に御目にかかりますことを何より楽しみに致しております。
御礼まで

第二信1935年12月25日
 今日、初めて大悟大徹しました。この大歓喜は手の舞い足の踏むところを知らず、老師でなければとてもとてもおわかりにならないと思います。得牛位とくぎゅうい[1]に到ればまったく迷いなし、牛も人もなくなりました。
 飛んで行って御礼を申上げねばならぬところでございますが、養生中[2]とてペンで心からただ合掌致しております。
 「仏祖我を欺かず」――自己本来の面目が掌上の珠[3]よりも明らかに一字一句、祖録も経文も真の事実となって現前致しました。最早こうなれば独参する必要もなし、公案も閑家具となりました。
 衆生をせんとするに衆生なし。大自在大安心の境地は、大悟大徹の人でなくては見性者の夢にも知るところでなし。この手紙を御覧になって老師がまだ世迷い言をおっしゃるようなら、老師も末徹在。御蔭様で本当に本当に生々の大願を成就し得、人の独参を受ける身となりましたこと、かたじけないとも何ともいいあらわすことはできません。
 老師と寸分たがわぬ眼、仏魔出で来ってもびくとも致しません。言語を絶しております。ここに至れば何も彼もまったく忘れて空手還郷くうしゅげんきょう[4]、何を今まで無駄骨折ったのかとガラリ天地一変致しました。
 日頃の老師の御親切な御導き周到なお言葉により、小さき迷い時代に考えていた自己の安心を願わず、生々不退の目的で修行していた御蔭様。小成に安んじなかったからここに至れりと、うれしく有難く有難く存じます。
 いよいよ前途衆生無辺誓願度の大願に向かい、事実、無窮に邁進できることと思いますと、じっとしていられないくらい有難く存じます。
 光明、光明、絶対の光明、無限の向上、しかも自然に一行三昧を打せること、永劫、老師とも何も彼も一切と共に大復活。この手紙を読んで老師も有難涙にくれて下さることと存じます。
 我を知るものはただ老師あるのみ。しかも老師もなく、我もなし。身心脱落、事実、身心脱落。ひるがえってますます体を健全にし、徳をつみ、教化に出る時節を待ちましょう。
 無理のない、緩ならず急ならずの大道の真ただ中、諸仏も老師も何も彼もまったくなく、眼なくして見、耳なくして聞く[5]、かく言うたとて跡もなし。ペンも紙も言葉もなし、なにもなし。
 真にこの境地に到らぬ人には話すこともできず、いたたまらず老師にペンをとりました。
 老師の骨の髄の髄まで残らず、残らず、微塵も残らずしゃぶってしまった私のような弟子あって、始めて老師も大満足と存じます。厚く厚く、三拝九拝して御礼申上げます。

第三信1935年12月26日
 その後、おさわりなくお過しでいらっしゃいますか。さて25日付の手紙をご覧下さって、さぞかし気が狂ったとご心配下さったことと、おかしいやら恥しいやら申訳ないやら万感こもごもでございます。まったく手の舞い足の踏むところをしらぬ大歓喜の絶頂にあって前後差別のみさかいもなくなっていたのでございます。今落着いてみますと何をしていたのか無茶苦茶だったとふき出してしまいます。
 演若達多えんにゃだった[6]の頭があったと大さわぎした御話をつくづく味わうことができました。でもようやく平静に戻りましたから御安心下さいませ。
 今までは小さい自分、力のない自分、いつ菩提心が退転しないとも限らぬ、また正法に生々あうことができないのでは死ぬのはいやだと始終不安でおりましたのに、徹してみれば最早もはや、永劫不退転の菩提心確立し、一切衆生を残らず救わずにおけぬ自然の願心にもよおされ、絶対人格完成に向ってますます無窮の修行に入ることのできるという事実が明々了々となりましたこと、嬉しいとも有難いとも筆舌に尽すことはできません。
 坐禅を怠るどころか、いよいよ定力を養わねばならず、百錬千鍛の必要を痛切に感じ、独参の有難さも深く深くわかりました。もう昨日の手紙のように大悟大徹して独参を受ける身となったなどと大それた狂言は夢にも書きませんからお許し下さいませ。
 ただ眼中に人なく、早速とび出していって、この迷える衆生を救わなければの一念に激発され、まったく無我夢中であったあの心情、考えれば滑稽とも思えますし、またああいう大歓喜を一時味わったことも笑えぬ貴い思い出と存じます。
 善悪のみさかいもはっきりし、日常生活にも少しの惑いもなく着実な修行を心がけ得られるこれからを考えますと有難涙にむせばずにいられません。厚く御礼申上げます。
 では御身くれぐれも御大切にあそばしませ。御目にかかれます日を何より楽しみにお待ち申上げております。

第四信 1935年12月26日
 たびたび手紙差上げ、お許し下さいませ。只今、修行者としての最後の一著いちじゃく[7]がございました。悟ったらどんなにえらくなるか。法あって身あるを知らぬ方とはどんなにえらい方かとおもっていたのは全然あやまりでございました。これからはいよいよ徳をつみ、無上に修行致します。悟る前には見性をあこがれ帰家穏坐きかおんざ[8]底の大偉人とはどんなものかと思っておりましたが、悟りつくせば、何を見性見性と大騒ぎしたものか、悟った人といわれるのも実は恥しいことと明らかに知りました。何のことだったか、見性を許して頂いて今まで何をしていたか全然忘れてしまいました。
 ただ真の悟りの眼だけは備わったとでもいうのでございましょうか。大悟徹底とはこんなことだったかとおかしうございます。が、最早永劫に自然に無条件に正法と一致した事だけは筆舌に尽せぬくらい有難く有難く、まったく狂喜じみた歓喜の絶頂にあった自分が馬鹿らしくなりました。
 老師はほほ笑んで下さいましょう。「惑い」だけは何事においてもなくなりましたが、この気持は大法を重んじなければなりませんから誰にも話すのをやめましょう。
 では御身、くれぐれも御大切にあそばしませ。何を仏法仏法、絶学無為[9]の道人と騒ぎ回っていたかどう考えてみてもわかりません。夢でもみていたのでございましょうか。

第五信 1935年12月27日
老師のお蔭様で、真に即心即仏の世界を証しえ、御礼の申上げようもございません。
上求じょうぐ菩提ぼだい[10]下化衆生げけしゅじょう[11]の念願の猛烈さのお蔭様。老師の御慈愛ある御導きによるものと深く深く有難く存じおります。これからは法の上では自らが自らを敬せねばならぬと思いますが、こういう場合のご注意、私の気のつかぬ点をお教え下さいませ。見惑思惑を徹底払った今の有難さ、最早絶対に惑いはございませんが、どこどこまでも老師のお指図にしたがい、人々を誤らせ法を誤解させたくないと存じます。
 見性成仏の場合とはまったく格段の違い、いよいよ入ればいよいよ高い無上道にあい得たこと、しかも体得したことを謝するとともに、結局まったく「ただ」の一貫[12]でよかった、やっと老師の大恩に御報い得られた吾を喜ばずにいられません。
 外の場合とちがいます一大事の時ゆえ、どうしてもただちに御目にかかって申上げねばならぬと存じます。が病んでいる身は自由にならず、手紙で申上げる失礼お許し下さいませ。
 ようやく真の卒業生をお出しになったこと、たしかに老師もお喜び下さいましょう。肉身の釈尊の法[13]を、弥勒みろく菩薩ががれる[14]ところを眼のあたりに見ようとは思いもよりませんでした。が翻ってわが身を倍も倍もつつしまねばならぬと存じております。
 では御身くれぐれも御大切にあそばしませ。


第六信 1935年12月27日
 老師お喜び下さいませ。ついに自己本来の面目が通天徹地、明々了々になりました。しかも自分では絶対に自分がこうまで命がけの修行者であることを少しも存じませんでした。結局、未来永劫、衆生を誓って済度しようとの念願を殊勝と思っていたほど、老師と私は迷いが深かったのでございますね。
 しかし今生こんじょうの姿としては、どこまでもやはり老師として有難いと存じます。もちろんこの悟りの内容は老師以外におわかり下さらないと存じます。法身ほっしんに荘厳のない私がこのように大悟大徹していることを人にしらせては却って大法を軽んじられ、ためにならぬと存じます。ただ真剣に私を信じて下さる方は別と存じまして、このまままったくこのままでよかったとホッと致しました。
 老師とも絶対にお別れしないでいられるとは何と嬉しゅうございましょう。迷いのない衆生に仏法はいらぬ。本来成仏とは私のことだったと一人ほほえんでおります。が、これは知音同志の上、対機の説法は別、これでいよいよ完全になりました。
 お蔭様と合掌致しております。最初より最後まで一貫した正法の無上の貴さもますますはっきり感じております。
 これでのんきにお正月を迎えましょう。御身御大切に遊ばしませ。
 ヒョロヒョロ見性者の一枚悟りの危険さをつくづく味わっております。

第七信 1935年12月27日
 たびたび手紙を差上げお許し下さいませ。ようやく落ち着きました。仏とは私のことであったと知って老師を無
上にただ一筋にお慕いしていた自分の気持もようやく納得できました。
 最早もはや悟りの臭気をとるはすみました。そしていよいよ老師が有難く、法が有難く、迷った迷ったと執し、悟った悟ったと執するほど、しかも、どこどこまでも喜んで自然に法を求めて落ち着くところのないこともわかり、一人有難く存じております。
 迷うも悟るもまったくの狂態、悟りつくせばこのままでよかったと、やっと永遠の落ち着きを見出し、静かにほほえんでいる気持はおわかりのことと存じます。
 最も老師と因縁の深いのが私とは、いよいよ自重自敬いたします。こうなるまで大悟一度、小悟五度、26日まではどこにどうしていたか、すっかりもぬけの殻でございました。「我」は徹底掃除し、後から考えて、これからもとへ戻ろうとしても、あまり死に切ったので、沈みすぎて出られません。
 太地たじさん[15]に独参させて頂いても、これは法の力ゆえ、治りっこなし。老師にお出で願わねばならぬことと思いましたが、「そうだ」と気が付き、一所懸命仏前に繊悔し、約三時間以上の経ったのも存じませんで、只管打坐致しました。それでようやく普通になりました。
 もっと残りものがあるあると苦しんだ時の修行こそ、真に命がけであったのでございましょう。坐禅を絶対にせずにいられぬ私であることが明了し、生々このままにしていさえすればよいのだと、有難く有難く存じております。
 一目お目にかかれますこと楽しみに御まち申上げております。
 世界中の第一人者、しかもそれが当たり前であった。それが私とはびっくりする。限りなくびっくりすることでございますね。
 でも体にはもちろん障りなく元気。ご安心下さいませ。

第八信 1935年12月28日
 老師に是非今年中にどうしてもどうしてもどうしても御目にかからせて頂きとう存じます。変なことを申上げますが、老師と御別れの近いことをこの現実として感じますから、どうしてもどうしても是非是非に御願い申上げます。
 法のために、しみじみ考えてのこと、決して魔境ではございません。

【注】
[1] 得牛位:悟りの牛を捉え得たということで、悟りの段階としては下から第4番目。「十牛図」では、悟りの段階を、牛飼いが牛をどのように見て取り扱うかに対応させて、悟りの深さを10段階に分けている。
[2] 養生中:先天性心臓病で、この年5月にはかろうじて一命を取り留めた。
[3] 珠:「じん十方じっぽう世界は一顆いっか明珠みょうしゅ」(玄沙師備禅師[835-908])。
[4] 空手還郷:道元が入宋し天童如浄禅師の指導のもとで大悟大徹する。帰日し、宋で何を学んだかと問われて、道元は、この言葉をもって説明する。空手とは、経典や仏像などを持ち帰っていないことをあらわすが、本質的には、自分を含めてこの世の一切が「空」なので、そもそも何かを持ち帰ることができない事実を指している。
[5] 眼なくして見、耳なくして聞く:「眼見ず、耳聞かず、喚んで什麼なにものとかす」(『臨済録』示衆14[岩波文庫 145-46頁])
[6] 演若達多:美男子であったこの人は鏡に映る自分の顔を毎日見ていたが、あるとき鏡の裏面で自分の顔を見たところ、それが映っていない。そこで頭がないと騒ぎ立て、街に飛び出していったという、『首楞厳経しゅりょうごんきょう』の逸話。
[7] 一著:「禅門向上の一著」といい、自らが悟ったことへの執着心が消えて、悟ったことも忘れてしまうこと。著はもともとは碁石を打つ一手のこと。「向上一著において別に生涯有ることを示す。それ我が禅宗、諸宗にかむるゆえは、まさにこの些子さしを伝うるをもってなり」(東嶺禅師『宗門無盡燈論』訓註 西村惠信、禅文化研究所、平成四年、70頁)。
[8] 帰家穏坐:本来の家に帰り、穏やかな心で坐ること。ここでの本来の家とは悟って初めて分かる真の自己、本来の自分。
[9] 絶学無為:学問、知識を必要としない悟りの境地にあって、一切の行為が、融通無碍、自由自在であること。
[10] 上求菩提:菩薩(悟りを求める人)が自らのために悟りを求めてそこに向かって登ること。菩薩の自利の行。
[11] 下化衆生:菩薩が悟りの境地から下りていき、生を受けたものすべてを教化し救済すること。菩薩の利他の行。菩薩のサンスクリット語ボーディ・サットバbodhi-sattva(菩提・衆生)を分解した語源解釈。
[12] 「ただ」の一貫:自分自身が全宇宙であり、また自分自身がいないために、横臥、歓喜悲哀、すべてそれだけということ。
[13] 肉身の釈尊の法:祖岳老師が釈迦牟尼の悟りの体験を嗣いでいること。
[14] 弥勒菩薩が嗣ぐ:釈迦牟尼の悟りの体験を、祖岳老師を介して八重子大姉が受け継ぐこと。
[15] 太地たじ太地玄亀げんき(1891年ー1953年)。1939年から祖岳老師について参禅。1941年楞厳りょうごん寺(埼玉県上尾市)の住職。八重子大姉の没した年(1936年3月)に発心寺専門僧堂の単頭となる。大事了畢だいじりょうひつはその2年後の1938年2月。
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